日曜日はなぜ休日なのか
カテゴリー 折々の想い 公開 [2007/02/06/ 00:00]
明治政府は1868年(明治元年)9月、太政官布告で、毎月、1と6のつく日(31日を除く)を休日と定めた。しかし、それでは欧米人との交易に支障があったので、1876年(明治9年)3月12日、土曜日の午後と日曜日終日を休日とすることに定めたという。日曜休日はやはり舶来だった。
ちなみに、ヨーロッパで日曜日が休日となったのは、313年、ローマ帝国でキリスト教が公認されたときである。
では、なぜキリスト者は日曜日を休日としたのだろうか。思えば日曜休日の起源は遠く、紀元前の旧約聖書時代に遡る。キリスト前約二千年のころ、神の選びの民はエジプトの地にあって奴隷として酷使されていた。この苦役からご自分の民を解放して約束の地へと導き出された神は、40年にわたる長旅の途中、シナイ山で指導者モーセを通して十戒を授け、ご自分の民との間に契約(旧約)を結ばれた。その十戒の第三は、「安息日を心に留め、これを聖とせよ」(出エジプト記20,8)であった。その理由は、「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別された」(同上20,11)からである。
次に、教会ではなぜ週の七日目(土曜日)ではなく、その翌日の日曜日を安息日にしたのだろうか。聖書によれば、イエス・キリストは十字架の死後三日目に復活して旧約を実現し、人類救済の業を完成した(新約)。だから教会は、キリストの復活を「第二の創造」と呼び、また「新しい創造」がはじまった日として、そこに安息日の成就を見たのである。こうして、教会は安息日をキリストの復活の日である日曜日に移し、その日には仕事を休み、神の休息に与ってキリストの復活を祝う。なお、聖書に「イエスを、神は、主ともキリストともなさった」(使徒行録2,36)とあるので、安息日を「主の日」と呼び変えて守るようになった。
教会にとって主の日の中心は、みんなで集まってミサをささげることであるが、仕事を休むことも安息日を本質的に引き継いでいる主の日の務めの重大な要素である。この日休まなければならない仕事とは、以前は「肉体労働」と言われたが、仕事の内容が複雑に多様化した今日では、「主日固有の喜びを妨げ、また精神及び身体の相当の休養を妨げる労働及び業務」(新教会法第1247条)と規定されている。
なお、レオ13世はかの有名な回勅『レールム・ノヴァールム』の中で、「日曜日の休息は国家が保障しなければならない労働者の権利である」と教えているが、この教えは今日も継承されている(ヨハネ・パウロ2世使徒的書簡『主の日』66参照)。
では最後に、明治政府が導入した日曜休日は、今の日本にとってどんな意味があるのだろうか。経験が示すとおり、働く人間には休息が必要である。今日のように忙しくスピーディーな日本にあっては、静かな休息はどうしても必要ではないだろうか。だから、せめて一週間に一度、日曜日だけは仕事を休み、レジャーも控えめにして、神の前で静かに自分を見つめ、神に愛され生かされている幸せを味わい、家族や隣人を思いやる日にしたらどうだろう。
先に触れた神の十戒は、万人の本性に刻み込まれた良心の声を補完し、成文化したものと言われる。だから、神の第三戒に示される安息日への招きは、すべての人のためにあるといえるのではないか。そう言えば、近頃参禅する人が増えたというから、多くの日本人の静かな休息への憧れは、安息日のおきてがみんなの良心にも通じていることの証左であろう。それに、キリストの死と復活はすべての人の救いのためであったから、すべての人が「神の休息」にも呼ばれていることは確かである。