「鹿児島きぼうの電話」20周年
カテゴリー 折々の想い 公開 [2007/10/25/ 00:00]
受話器この12月、「鹿児島きぼうの電話」開設20周年を迎える。鹿児島教区が始めた相談電話である。鹿児島教区二代目の司教として「教区づくり」に精を出す中で、ようやく一段落していたころ、地域社会の中で苦しんでいる人々のために何かしなければと考えていた矢先、手にして読んだ一冊の本、『いのちの電話物語』(大島静子訳・1972)に強い衝撃を受けていた。オーストラリアのシドニーでライフライン(life line)を始めたメソジストのアラン・ウオーカー博士の著書である。現代の大都会の真ん中で如何に孤独で苦しんでいる人が多いか、また、それらの人々が一本の電話線で如何に救われていくかが生々しく物語られている。それに、わが国でもすでに「いのちの電話」が定着し、全国各地で始まっていることも知っていたから、鹿児島でもそんなニーズがあるのではないかと思うと、じっとしておれなくなっていた。
こうして教区の司祭たちや信徒たちの協力を得て「鹿児島きぼうの電話」が発足した。同じころ、鹿児島でもいのちの電話創設の話は聞いていたのだが、あえて独自の相談電話にしたわけは、一つはカトリック色をはっきり出したいということ、もう一つは、もし必要なら事情のゆるす限り電話線を超えて相談者にかかわっていこうということであった。シドニーのケースでは、電話カウンセラーのほかにトラブルチームが控えていて、必要に応じて片がつくまで相談者に奉仕する仕組みになっており、また、「人々をキリストに導くことを」いのちの電話センターの最高の目標にしていた。わが国のいのちの電話は事業の規模が小さいなどの理由で電話線のみによるかかわりに留めており、また、キリスト教宣教を特に目標としていなかった。
こうしたきぼうの電話の狙いが容易でないことは開局してすぐに分かった。しかし、一人の熱心なカトリックボランチアが教区本部に「心の相談室」を設けてくれ、実によい働きをしてくれて、一時は夢を叶えることができた。しかし、このボランチアが亡くなって後任が続かず、中断せざるを得なかったことは残念であった。それともう一つの悩みは、やはり信者が少ない教区としては、十分に信者カウンセラーの補充が利かないことであるが、幸いなことに多くの信者以外のボランチアの協力をいただいている。
ところで、きぼうの電話を続ける中で痛感されるのは、鹿児島のような田舎の町でも、孤独で悩んでいる人が多いことである。世の中は豊かで快適な生活を謳歌しているというのに、孤独地獄に悩む多くの人々の存在は、物質的な繁栄の陰で、世俗主義や個人主義の蔓延を思わざるを得ないわけである。年々増加する自殺者はその象徴であろう。こうした非情な世の中である以上、神の愛によって愛のために造られた人間の本来の姿に戻ることの大切さとともに、電話相談の意味がさらに増してくる思いである。
ルカ福音書10章25節以下に「善きサマリア人のたとえ」がキリストの口から語られているが、上記の『いのちの電話物語』は次のように言う。
「イエスが語った有名なたとえ話の中の善きサマリア人は、エリコに下っていく道で、傷ついたひとりの男を全快するまで世話した。彼は道ばたで応急手当を開始した。それから、自分のロバに男を乗せて近くの宿屋までつれていき、治療代を払った。翌日、宿屋の主人に金を渡して言った。「この人を見てやってください。費用がよけいかかったら、帰りがけにわたしが払います」。
いのちの電話は、他者に対する配慮の業を実行したいと願っている。まず、応急手当をするが、大勢の人々が当面の危機的状況が過ぎた後も、続いて、友情と助力を必要としているのであって、それは面接によるカウンセリングによって与えられるものであることを、いのちの電話は承知している。そこで、そのような人々の世話をし、彼らと交わりを持とうとする信徒の志願者を動員して、訓練を受けてもらっている」。
電話相談というものは、やはり、一部のボランチアの仕事ではなく、教会全体の重要な使命であるのかも知れない。愛の事業は教会の本質的な使命だからである。