「使徒継承の教会」を実感

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「使徒継承の教会」を実感

カテゴリー 折々の想い 公開 [2008/06/10/ 00:00]

郡山司教叙階式の「按手」

郡山司教叙階式の「按手」

去る5月18日、宮原良治福岡司教の着座式に参列した。現役を引退して自宅に引きこもっているから、久しぶりの遠出となったが、その目的は二つ、長崎教会管区の司教仲間として福岡司教着座に祝意を表するとともに、会するであろう全国の司教たちとの友情を温めるためである。

周知の通り、約二年前に松永久次郎司教が亡くなってから福岡教区の司教座は「空位」であったが、こんどの宮原司教の着座によって、福岡教区における「使徒継承」(Successio Apostolica)が名実ともに無事に果たされた。わたしは着座式にあずかりながら、特別な温かい配慮をもって人類の救いを実現する神の摂理を黙想していた。

「神は、万民の救いのために啓示したそのことが、永久に、かつ完全に保たれ、あらゆる世代に伝えられるよう、いともやさしく取り計らった」(啓示憲章7)。こうした御父の計らいにより、「主キリストは至高の神の全啓示が自らにおいて完了されるため、かつて預言者によって約束された福音を自ら実現し、かつご自分の口をもって宣布したが、これを救いに関するあらゆる真理と道徳の源として、すべての人にのべるよう、また彼らに神のたまものを与えるよう、使徒たちに命じた」(カトリック教会のカテキズム75)。そこで、「使徒たちは、生きた完全な福音が、つねに教会に保存されるよう、司教たちを後継者として残し、彼らに『自分たちの教導職を与えた』(啓示憲章7)。実際、『使徒的宣教は、霊感の書に特別に示されているが、不断の継承によって世の終わりまで保たれねばならなかった』(啓示憲章8)」(カトリック教会のカテキズム77)。

この「不断の継承」は、書き記されみ言葉である「聖書」に対して書かれざるみ言葉として「聖伝」(聖なる伝承)と呼ばれる。教会は教える。「聖霊のうちにあって遂行さえるこの生きた伝達は、聖書とは異なるものとして聖伝と呼ばれる。いうまでもなく、この聖伝は聖書と密接に結びついている。この聖伝により、『教会は、その教義と生活と典礼とにおいて、自らあるがままのすべてと、信じることのすべてを永続させ、あらゆる世代に伝えるのである』(啓示憲章8)」(カトリック教会のカテキズム8)。

大相撲11月場所でおなじみの福岡国際センターにおいて、3千人の信者たちの前で行われた福岡司教の着座式は、天の御父のご配慮のもと、聖霊を通してキリストによって行われた壮大な「神的ドラマ」であり、信仰のある人たちだけが見ることのできる「教会の神秘」であった。唯一つ物足りなく思ったことは、この日、司教叙階式がなかったことである。当の宮原司教は8年前、大分教区司教として大分教区ですでに司教に叙階されており、この日は着座式だけが行われたのである。司教の転勤は決して稀ではなく、福岡教区ではこれで三回続きの着座式のみによる使徒継承となった。福岡教区における司教叙階は、深堀仙衛門司教の叙階式以来、半世紀あまり行われていないとのことであった。それでも、使徒継承という聖伝は確実に受け継がれたのであるから、もって瞑すべきであろう。

これに関連して今、わたしは二年余り前の鹿児島における司教叙階と使徒継承のシーンを想起している。教区司教は満75歳になったら教皇に辞表を提出するようにと教会法第401条に規定してある。だからわたしは満75世の誕生日を迎えるとすぐに教皇様に辞表を提出した。そしてこの辞表は認められ、後任司教の候補者探しが始まった。それから約1年半後、教皇様は郡山健次郎司教を鹿児島教区司教に任命された。郡山司教はわたしがこの手で叙階した教区司祭であり、司教叙階もこの鹿児島の地で、また私自身の手で「按手」(写真)する喜びを味わった。使徒たち以来二千年にわたって連綿と続いてきた使徒継承の輪を私自身で繋ぎえたことを、大きなお恵みとして感謝している。

そして今は隠居の身、教職、祭職、牧職のうち、教職、祭職のみが残り、牧職、つまり教区統治という責任から開放された「ただの司教」である。教会法第402条によれば、「引退が受理された司教は、退任前の教区の名誉司教の称号を得る」とあるが、名誉司教という翻訳がどうもピンとこない。ラテン語原文ではEpiscopus Emeritusであるが、任務をなし終えた「無益のしもべ」(ルカ17,10)として、文字通り「引退司教」ないし「退役司教」でよいと思う。ただ、引退司教も教皇を頭とする世界司教団の一員であり、そういう意味では世界の教会についてそれなりの共同責任を負っているものと理解している。事実、日本カトリック司教協議会の規約には、引退司教も会員になれると規定してある。しかし、彼らは司教協に入る実際上の必要を感じないから、傍らにあって心配しながら現役司教団を見守っている。ともあれ、福岡司教着座式参加は、後輩たちの暖かい友情にも触れ、Collegialitas Affectiva(心の連帯)を確かめ合うよい機会となった。



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