パウロにおける「福音の告知」と現代
カテゴリー 折々の想い 公開 [2008/07/28/ 00:00]
まず言葉の理解だが、ここで「異邦人」とは、ユデア人(ユデア教徒)以外のすべての人で、キリストを信じていない人を指す。パウロは、12人の使徒たちとは違った異例の使徒として、「異邦人の使徒」となるよう特別に呼ばれたことを確信してゆく。ワルテル・ガルディーニは言う。「異邦人にも福音を説かなければならないのではなく、異邦人にこそ、福音を説くべきだ―この悟りこそ、パウロをキリスト教的普遍性の告知者としたのである」(『宣教者パウロのメッセージ』)。事実、パウロ自身、アンチオキアで宣言する。「わたしたちは異邦人のほうに向かって行きます。主はわたしたちにこう命じておられます。―わたしはあなたを異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすために―」(使徒行録13,46-47)。
パウロのこの使命は教会の指導者たちからも承認された。かれはこう書いている。「(エルサレムの使徒会議で)ペトロが、割礼を受けた者への福音をゆだねられたように、わたしが、割礼を受けていない者への福音をゆだねられたことを、かれらは認めました。割礼を受けた者に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。かれらは、わたしに与えられたその恵みを理解し、「柱」と目された重立った人たち、ヤコブとケファとヨハネは、わたしとバルナバに、一致のしるしとして右の手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人のところに行き、かれらは割礼を受けた者のところに行くことになりました」(ガラテア2,7-9)。
ところで、キリストの福音の告知は人から人へと行われる。それは出会いと対話によって行われるのである。その目的は救いの福音への同意、すなわち信仰である。しかし、人間は自由意志を持つ存在であるから、差し出された福音を信じないこともできるが、それは自分の責任において救いを拒むことを意味する。要するに、宣教者の仕事は信じるべきものとして福音を伝えることである。そのために、宣教者は異邦人のもとへ出かけなければならない。事実、パウロは3回の伝道旅行を決行し、囚人として護送されてローマ人に宣教し、釈放後もスペインや小アジアに宣教したと伝えられる。その間、様々な障害に遇う。
パウロは語る。
「苦労したことはずっと多く、牢屋に入れられたこともずっと多く、打たれたことは比べられないほど多く、死の危険にさらされたこともたびたびでした。ユダヤ人から「三十九回打ち」を受けたことが5度、ローマ兵から鞭打たれたことが3度、石を投げつけられたことが1度、難船したことが3度、外海で一昼夜漂流したこともありました。しばしば旅をし、川の難、強盗の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海での難、偽兄弟からの難に遇い、苦労に苦労を重ね、たびたび眠らずに過ごし、ひもじい思いをしたり、のどが渇いたり、しばしば食べずにいたり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(2コリント11,23-27)。
パウロは紀元67年頃、ネロ帝の迫害によりローマ郊外で斬首されて殉教した。遂に命をささげたのである。古くから聖パウロの肖像画には剣が描かれている。いのちをかけて異邦人に福音を告知するパウロの使命は、キリスト教が旧約の神の民、ユダヤ民族の枠を超えてギリシャ・ローマ世界に広がる象徴的な出来事となった。パウロのこの事跡は、二千年を経た今、どのように引き継がるべきであろうか。
全世界に教会が広がった現在、世界的な規模の人事交流は必要とされようが、パウロの時代のような海外宣教旅行は必要ないかもしれない。しかし、異邦人への宣教が継続されるべきは明らかである。パウロを宣教に派遣した神の、人類救済の意志と愛は不変だからである。「キリストが来られてから二千年がたとうとしていますが、人類全体を見渡すと、福音宣教の使命はまだ始まったばかりである」(ヨハネ・パウロ2世回勅『救い主の使命』1)。世界人口の3分の2がキリスト信じておらず、わが国においてはざっと一億人が真の福音告知を受けていない。このように膨大な異邦人が福音を必要としており、パウロ6世によれば、かれらは福音を聞く権利(と義務)を持っている(『福音宣教』80参照)。従って、要は前教皇が繰り返し強調した「新しい福音宣教」の具体化であろう。それは、何よりもパウロに見られるあの「福音告知」の原点に戻ることではないか。莫大な資金と人材を投じて始められた福音宣教事業としてのカトリック学校や幼稚園、各種の社会福祉事業がその本来のミッションを再点検し、特に、全国に展開する教区や小教区が地域住民に対して組織的かつ積極的な直接宣教のあり方を再検証することが求められているのではないだろうか。そんな気がしている。