シドッチ神父と長助・ハル夫婦
カテゴリー 折々の想い 公開 [2008/10/10/ 00:00]
今回は「シドッチ神父来日300周年」を記念して、シドッチ神父に対する幕府の処分と、シドッチ神父の身の回りの世話をしていた長助・ハル夫婦を話題にしたい。
1-将軍の名代としてシドッチ神父の尋問に当たった新井白石は、シドッチ神父の処分について次の三策を幕府に答申した。
1)上策は、本国に送還すること。これは難しいようで実は易しい。
2)中策は、捕囚として助命すること。これは易しいようで実は難しい
3)下策は、処刑すること。これは易しく、また実際に簡単である。
幕府は第2策を採用して、布教しないことを条件にシドッチ神父をキリシタン屋敷に収容した。国禁を破って蜜入国した神父であったため、無罪放免とはいかなかったのであろう。それにしても、直ちに処刑しなかったのはなぜだろう。ある人は、白石において人権思想があると見ているが、キリシタン禁制と迫害が継続中であり、絵踏みのような人道に反する精神的拷問が行われている時代に、幕府に人権思想はおよそ考えられない。従って、その真意は死刑が殉教者を作り、逆効果になることを恐れたのであろう。
2-キリシタン屋敷に幽閉されたシドッチ神父の世話をしたのは長助・ハル夫婦であった。この夫婦はともに罪人の子で、あたかも奴隷のように召使としてキリシタン屋敷にとどめ置かれた夫婦であったという。しかし、この二人はすでにキリシタンの教理について話を聞いていたようで、シドッチ神父に接している間に次第に感化され、遂に洗礼を望むようになった。シドッチは祈りを中心とした節度ある敬虔な生活態度を崩さなかったから、夫婦はキリシタンの教えの真実性を実感し、魂の救いに心を開かれたのであろう。
役人の監視下にあったシドッチは日本人の誰とも接する機会はなく、布教しないという約束は不本意ながら破る機会すらなかったのであるが、長助・ハル夫婦は毎日接して気も心を通じたであろうことは想像に難くない。その夫婦の願いとあっては、洗礼を授けることを断るわけにはいかなかったであろう。宣教師として、死を恐れて重大な救霊の機会を逃すわけにはいかなかった。キリシタン屋敷に幽閉されて7年を過ぎた1715年のある日、神父は長助・ハル夫婦に洗礼を授けた。
洗礼を受けた後、正直な長助・ハル夫婦は役人にそのことを告げた。その結果、シドッチ神父は、国禁を破って布教したという廉で地下牢に移され、待遇もまた一段と厳しくなった。そして同年11月27日、遂に獄死する。47歳であった。シドッチの死因についてわれわれは何も知らない。ただ、絶食や毒殺の可能性も否定できないと思う。いずれにせよ、我々はシドッチ神父を殉教者として崇めたい。
ここで、次のことに言及したい。当代髄一の碩学・白石は、シドッチ尋問からキリスト教のあらましは聞いて、言われていることは理解したであろう。神父の人柄を知るとともに、巷間に言われる「キリシタン奪国論」の疑いを完全に晴らしたにもかかわらず、真理探究の姿勢を示さず、幕藩体制の安全を守ることを優先してキリシタン解禁を拒否した。一方、無学で奴隷扱いをされていた長助・ハル夫婦は、一切の偏見や人間的な都合に左右されず、キリスト教への理解と共感を深め、遂に真理に達した。こうして、謙虚な召使夫婦は錚々たる学者や権力者たちを越えたのである。この事実を前に、わたしは聖書の言葉を思い出している。
「天地の主である父、わたしはあなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを知恵ある人や賢い人には隠し、小さい者に現してくださいました。そうです。父よ、これはあなたのみ心でした」(マタイ11,25-26)。これはキリストご自身の言葉である。
また、次の聖句も思い出される。
「神は高ぶるものに逆らい、へりくだる者に恵みをたもう」(ヤコブ4,6;1ペトロ6,12)。知的傲慢は人の心を真理に閉ざす。もともと人間の理性は真理に向かい、真理に服するものだ。博識と英知は異なる。博識は部分的な知識の集積に過ぎないが、英知は究極の真理である。我々は「真理に従って愛を行う」ことを大切にしたい。