ハンセン病者の使徒・ダミアン神父の列聖

糸永真一司教のカトリック時評 > 折々の想い > ハンセン病者の使徒・ダミアン神父の列聖

ハンセン病者の使徒・ダミアン神父の列聖

カテゴリー 折々の想い 公開 [2009/11/10/ 00:00]

ダミアン神父

ダミアン神父

10月18日付カトリック新聞は、教皇ベネディクト16世が去る10月11日、ローマ・聖ペトロ大聖堂でダミアン神父ら5人を列聖したと報じた。ハンセン病者の使徒・ダミアン神父はすでによく知られているが、わたしも敬慕者の一人として、遅すぎた列聖だが、心からこれを喜び、聖人の栄誉をたたえ、神を賛美したい。

今から32年前の1977年、司祭叙階25周年の銀祝休暇をいただいたわたしは、ハワイ観光に訪れた折、確かハワイ州庁舎の前庭に建っている「Father Damien=ファザー・デミアン」の像に出会った。ハンセン病によりただれた顔にも、どこか威厳と慈愛をたたえたその表情に感動を覚えた記憶がある。早くからハワイの最も尊敬すべき人物として慕われていたことがわかる。そのダミアン神父が今や聖者として全世界の祭壇上で記念され、崇敬されることになったのである。

ダミアン神父は1840年1月3日、ベルギーはブラバンド州の農村・トレムローでフランシスとカタリナ夫婦の7番目の子として生まれ、幼児洗礼を受けてヨゼフと名付けられた。1859年、19歳でイエズス・マリアの聖心会に入り、翌年、修道誓願を立てる。そして1864年、ハワイに渡り、5月21日、ホノルル大聖堂で司祭に叙階される。25歳であった。ハンセン病患者隔離の島、モロカイ等に赴任したのは1873年である。そのとき、モロカイ島の隔離地には800人のハンセン病患者がいて、415人が病院と呼ばれる家に収容され、年間142人が死亡するという状況であった。ダミアン神父が初めてハンセン病罹病が分かったのは1884年、44歳の時であった。そして1889年4月15日、聖週間の月曜日に49年の尊い生涯を閉じた。

旧約時代、律法によれば伝染性の皮膚病患者は共同体から隔離されたが、皮膚病は原則として罪のしるしとも考えられていた。従って、キリストのかたどり「ヤーウェの僕」は罪がなかったにもかかわらず、人類の罪を背負って皮膚病患者のように醜くされる(イザヤ53,4参照)。そのため、マタイ8,1-4に語られる重い皮膚病の治癒は、イエスが人々の罪を一身に背負って世をあがなわれた醜い姿を連想させると同時に、神の国の到来を現わすしるしとしての象徴的な奇蹟であった。そのような意味で、ダミアン神父もハンセン病患者に奉仕しながら、自らハンセン病患者となって命をささげたその生涯は、まさにキリストに文字通りあやかる者として称賛される。

他方、主イエスがハンセン病患者とみなされた聖書の故事から、カトリック教会はハンセン病患者に対する畏敬と共にその救済に特別に尽くしてきた。そのため、ヨーロッパにおいては古代から各地にハンセン病病院が建てられたが、わが国でも、キリシタン時代、大分ではアルメイダによって1557年に外科、内科と共にハンセン病科の病棟が建てられ、また、長崎ではイエズス会の指導のもとに「ミゼリコルディアの組」によってハンセン病院が経営された。このほか、ドミニコ会、アウグスチノ会、フランシスコ会も長崎をはじめ京都、大坂など各地にハンセン病院を経営していた(以上、片岡弥吉著『キリシタン殉教史』158,165ページ参照)。

明治になってキリシタン禁教令が解除された後、神奈川の神山復生病院と熊本の待労院がハンセン病専門の療養所として経営されたことは周知の通りであるが、全国各地の国立ハンセン病療養施設においても、カトリック教会はいち早く宣教を開始し、あるいはカトリック教会を付設して、患者たちへの精神的救済事業に尽くしてきた。医学が発達し、ハンセン病の伝染性が否定されてからも隔離政策が続いたとして批判する向きもないではないが、しかし、患者たちの治療と保護に尽くした隔離政策は必ずしも批判に当たらないのではないか。特に教会はハンセン病療養所においてその使命をよく果たしてきたと思う。

わが国では今日、ハンセン病患者の高齢化と同時に、その数もまた減少してきた。カトリック新聞によれば、「聖ダミアン司祭はハンセン病患者、また最近ではエイズウイルス感染者、発症者の取り次ぎ者と考えられている」としているが、ハンセン病ばかりでなく、病者全体に対する配慮と奉仕が強く求められていることを、あらためて感じている。