メディア宣教に従事する修道会

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メディア宣教に従事する修道会

カテゴリー 折々の想い 公開 [2009/12/10/ 00:00]

Br.田中と営業車

Br.田中と営業車

メディア宣教を使命とする聖パウロ修道会の一人のブラザー(修道士)が毎月鹿児島にやってくる。現在は長崎県大村市出身のブラザー田中であるが、先月17日にはわたしの早朝ミサにあずかった後、朝食を共にして、彼の仕事の様子などを伺う機会があった。

今回の彼のミッションは、カテドラルに併設されている「ザビエル書店」の書籍や聖品、キリスト教グッズの補充などの世話のほか、鴨池教会や谷山教会を回り、さらには鹿児島純心学園や鹿児島ラサール学園の学校行事のためのキリスト教売店の準備をすることであるという。彼は三日間鹿児島で仕事をしていったん引き揚げ、学校行事当日にはまた出向いてくるという。

ここでまず、鹿児島カテドラル・ザビエル教会に設置されている「ザビエル書店」の由来について振り返っておこう。ザビエル書店は、出版宣教を使命とする聖パウロ修道会(男子パウロ会)の家族として創立された聖パウロ女子修道会(女子パウロ会)が、1966年11月13日、鹿児島市上荒田町に「聖パウロ書店」を開いたことに始まる。そして修道女たちは1968年10月、鹿児島の老舗デパート山形屋の中4階書籍部の隣に「セント・ポール・コーナー」を開いた。

1974年4月、カテドラルに「ザビエル会館」が落成すると同時にその1階にカトリック書店」を開設し、同時に評判のセント・ポール・コーナーが閉鎖された。そして、1995年3月末、女子パウロ会鹿児島修道院の閉鎖に伴い、同書店はザビエル教会直営の「ザビエル書店」となり、今日に至る。その経営は、上記のように、聖パウロ修道会の全面的な支援をいただいている。

さて、活字メディアは教会の宣教・司牧において不可欠の手段となっている。かつて聖フランシスコ・ザビエルはすでに鹿児島で述べている。「(日本では)大部分の人は読み書きができますので、祈りや教理を短時間に学ぶのにたいそう役立ちます」、「この冬は信仰箇条の説明書を日本語に訳し、たくさん印刷したいので、多忙であろうと思います。日本では主だった人たちすべてが読み書きを知っていますし、わたしたちは全国を回ることができませんので、各地方へわたしたちの信仰を広めるために印刷するのです」(ザビエル書簡第90)。当時、鹿児島では木版刷りで漢籍が印刷されていたというから、単なる夢ではなかったのだ。このザビエルの願いは、1590年にヴァリニャーノ神父が天正少年遣欧使節の帰国と共に持ち込んだ印刷機で日本語の教理書である「どちりなきりしたん」をはじめ、「キリシタン版」と呼ばれる一連の出版によって実現することになる。そしてこの伝統は様々な人々や組織によって引き継がれているが、特にメディア宣教を専一として創立された男女聖パウロ修道会の働きは重要で、鹿児島の実情はそのあかしである。

聖パウロ修道会は1914年、イタリア人の福者ヤコボ・アルベリオーネ神父によって「社会的コミュニケーションの手段を用いてキリストのことをすべての人々に伝える」ことを使命として創立された。会員は司祭と修道士から成り、現在30の国と地域で、書籍、雑誌の発行と普及、またテレビ、ラジオの分野でも活躍している。日本における聖パウロ修道会は、1934年、イタリアから来日した2名の会員によって基礎が築かれ、1955年に日本管区となった(聖パウロ修道会HP)。

ブラザー田中は現在、聖パウロ会福岡修道院に所属し、広島から九州を担当地域として、各地のカトリック書店をはじめ、小教区やカトリック学校を定期的に巡回しながら、カトリック書籍やグッズの普及に頑張っている。ブラザーと話していて初めて知ったのだが、パウロ会員は三つの修道誓願のほかに教皇への忠誠の誓願を宣立している。

なお、女子パウロ会は1915年6月15日、福者アルベリオーネ神父によってアルバにおいて創立され、1948年に来日した。福者アルベリオーネ神父が創立したのは男女パウロ会のほか、師イエズス会など合計五つの修道会と三つの在俗会、そして一つの信徒の会があり、「パウロ家族―Familia Paolina」と呼ばれている。

マス・メディア(media―手段)の今日的発展はすさまじい。こうしたメディアによる重要な福音宣教は、ブラザー田中のような修道者たちの隠れた働きによって支えられていることを認識し、メディア宣教に奉仕する修道者とその召し出しのために祈らなければならないとあらためて思う。