尊者・ピオ12世のことども

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尊者・ピオ12世のことども

カテゴリー 折々の想い 公開 [2010/02/10/ 00:00]

教皇ピオ12世

教皇ピオ12世

昨年12月19日(土)、教皇ベネディクト16世は、教皇ピオ12世と教皇ヨハネ・パウロ2世の英雄的な徳を認め、2人を「尊者」(Venerabilis)とすることを宣言した。列聖に向けて調査が始まると、まず「神のしもべ」(Servus Dei)と呼ばれ、その人物の生涯が英雄的な生き方であったことを公認するときに「尊者」と呼ばれる。この段階では公的崇敬の対象とはならない。

ヨハネ・パウロ2世の教皇職在位はわたしの司教職在位と完全に重なるから、何度も直接お会いする機会があったが、ピオ12世の教皇職在位(1939-1958)はずっと古く、わたしの神学生時代(1941-1953)がすっぽりその期間に入ってしまう。わたしがピオ12世にお会いしたのは一度だけ、それも1953年の夏、教皇のカステルガンドルフ夏季別荘で行われた一般謁見のときであった。ま近かに仰ぐお姿に感動もひとしおだったが、覚えているのはただ、謁見の最後に祝福を与えるため、長身を純白のスータンに包んだ教皇が両手をまっすぐ横に延ばし、天を仰いで祈る一瞬の神々しいまでのお姿だけで、今も脳裏に焼き付いている。

ピオ12世の生涯と業績の全貌はいずれ公表されるであろう。ここではわたしの司祭職への歩みを照らし力づけてくれた記憶のいくつかを想起して教皇を偲びたいと思う。

ピオ12世についてまず思い起こすのは回勅”Mystici Corporis”(キリストの神秘体)である。1943年(昭和18年)6月29日に公布されたこの回勅は、太平洋戦争の真っただ中にあったためわが国で知られることはなかった。日本語に翻訳されたのも10年後の1953年であった。しかし、キリストの神秘体という、見える教会の見えない霊的な側面を解明した回勅の教えは戦後には知られ、それまでの教会認識を見直すと同時に、何世紀もわたって誤解され強調されてきた個別的、孤立的な霊性から教会の交わりの中で生きられる共同体的な霊性へと転換して、新しい時代を切り開く契機となった。

1950年8月12日に公布された回勅”Humani Generis”(人類の起源)もまた、わたしの信仰と司祭職への歩みを照らした画期的な教えであった。キリスト教信仰に重大な脅威を与えた近代の思想的誤謬を指弾し、真理認識における人間理性の能力と限界、人間理性を照らし完成する神的啓示の重要性を説いた回勅は、ダーウィンの進化論に対する教会の姿勢を明示するほか、人類の起源を物語る創世記の歴史性を強調して、創世記の記述は今日的な科学書ではなく、当時の人々の通念に基いて人間と世界の創造と主宰に関する神の介入を教える宗教的な記述であることを強調している。

同じく1950年11月1日に公布された使徒憲章“Munificentissimus Deus”( 恵みあふれる神)は、聖母被昇天を信ずべき教義であると宣言する「教皇座宣言」(ex cathedra)と呼ばれるもので、第1バチカン公会議が確認した教皇の不可謬権に基づく教義宣言であり、聖霊に守られて教会の信仰・道徳の教えを誤りなく保ち解説する教皇の教導職の重要性をあらためて実感させるものであった(註1)。

ところで、ピオ12世の尊者宣言について、欧米ではこれを批判し、反対する議論が結構うるさいようであるが、それは、ピオ12世がナチスのユデア人迫害(ホロコースト)に直接反対しなかったという従来の非難の蒸し返しであるが、教皇はヒトラーを直接非難して最悪の事態を招くことを避け、密かにユデア人の救済に努力したともいわれる。いずれにしろ、教皇の使命は、本来、宗教的かつ司牧的なものであって、従って、教皇はいかなる国の失政の責任を負うことはあり得ない。ピオ12世の治世は、ナチス・ドイツのホロコウストを始め、共産主義政権が粛清の名で行った大量の処刑や、第2次世界大戦において行われた大量虐殺事件、さらには無差別爆撃や原爆投下による大量の市民殺害など、野蛮な世紀と言われた20世紀のもっとも野蛮な時期に当たっており、その間、教皇が発した多くの公文書や演説、ラジオ・メッセージなど、その福音的な平和使信のすべてが、世界全体が犯した一切の野蛮行為に対する痛烈な抗議であり警告であったと言わなければならない。何よりも今回の尊者宣言そのものがピオ12世教皇の無実の証しであるばかりでなく、その英雄的特性の確認であって、近々に期待される列福や列聖によってその聖性はさらに輝かしく証明されることになろう。わたしはそう期待している。

――――――

(註1) 教義宣言は聖母の被昇天について聖書と聖伝のから説き起こした後、述べる。 

「それゆえ、神に絶えず祈りかつ懇願し、真理の霊の光を呼び求めたうえで、処女マリアへの特別のいつくしみを惜しまない全能の神の栄光のため、また、世々にわたる不滅の王であり、罪と死に対する勝利者である御子の誉れのため、その偉大な御母の栄光のいや増しと全教会の喜びと歓喜のため、われらの主イエス・キリストと至福なる使徒ペトロとパウロ、そしてわたし自身の権威により、われわれは次のことを宣言し、公布し、決定する。すなわち、無原罪にして終生処女なる神の母マリアが、地上の生活の終わりに、霊魂においてばかりでなく肉体においても天の栄光に上げられたことは、神の啓示に基づく教義である」(筆者訳)。



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