教皇ベネディクト16世、英国公式訪問へ

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教皇ベネディクト16世、英国公式訪問へ

カテゴリー 折々の想い 公開 [2010/04/25/ 00:00]

ニューマン枢機卿

ニューマン枢機卿

南日本新聞3月18日付け朝刊によれば、英王室と同外務省は、9月16-19日、教皇はエリザベス女王の招きで英国を公式訪問、女王やウィリアムズ・カンタベリー大主教らと会談するほか、ジョン・ヘンリー・ニュウマン枢機卿の列福式が教皇によって執り行われると発表した。

ちなみに、これより先、パウロ6世は。第2バチカン公会議の後、カンタベリ大主教とローマで会談、また、エリザベス女王は1980年、英国元首として初めてバチカンを公式訪問した。そしてヨハネ・パウロ2世は、1982年に英国を非公式訪問、和解を果たした。

英国国教会は1534年、ローマ・カトリック教会から分離した。その理由は、時の英国王ヘンリー8世が、正妻を離婚して新しい女性と再婚しようとしてローマ聖座の許可を求めたが、それが得られず、あくまで野望を遂げようとして自ら英国の教会の最高権威を宣言したことである。そして、1562年、時のエリザベス女王によってイギリス教会の教理が確立され、英国教会のローマ・カトリック教会からの分離独立が確定するのである。国王の身勝手な行為が一国の教会の歩みに取り返しのつかない汚点を残したことは本当に悲しいことと言わなければならない。

「教会の平和と一致」は人類救済に対する神の本質的なご計画であって、原罪によって「散らばっている神の子らを一つに集める」(ヨハネ11,52)神のご計画について、聖パウロは述べる。「(神のご意思に秘められた神秘は)すべてのものを、キリストを頭として一つに結び合わせるということです」(エフェゾ1,10)。キリストご自身が次のように祈られた。「どうか信じるすべての人を一つにしてください」(ヨハネ17,21)。

従って、英国教会の教皇からの離脱は最も恥ずべき由々しいことであったが、これにいのちをかけて反対し、教会一致を守ろうとした人が二人いた。前宰相トマス・モアと学識高い司教ジョン・フィッシャーである。ロチェスウターの司教ジョン・フィッシャー(1459-1535)は獄中で教皇パウロ3世から枢機卿に任ぜられたが、トマス・モア(1478-1535)とともに1535年7月6日に処刑された。教会一致のために殉じたのである。二人は1935年5月19日に列聖された。

英国教会とカトリック教会の一致に関連して忘れてならない人は、教皇の英国訪問時に列福される予定のジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿(1801-1890)である。「近世の教父」とも呼ばれるニューマンは、15歳にしてキリスト教信仰に目覚め、英国教会の司祭となったが、教会発展の歴史を研究した結果、初代教会の流れを継承しているのはカトリック教会以外にないことを確信し、1845年10月10日、カトリックに転会した。その後は、ローマに学んでカトリックの司祭となり、様々な困難な事情の中で神学の研究に没頭すると同時に、英国におけるカトリック教会の再興のために献身した。そして1879年、英国の信徒たちの願いによって教皇レオ13世はニューマン神父をいきなり枢機卿に任命した。

第2バチカン公会議を機に教会一致運動が強力に推進される今日、ニューマン枢機卿の列福は極めて意義深いものであると同時に、初代教会の使徒伝承に戻ることが教会一致への重要な道であることを考えさせる。そしてこの機会に、あらためて教会一致の重要性を」確認し、教皇の英国訪問が望ましい成果を上げるよう祈らなければならない。そのためにも、ミサの中で「教会の平和と一致」を祈る典礼の祈りに注目しておきたい。司式司祭は主の祈りと副文の後に次のように祈る。

「主イエズス・キリスト、あなたは使徒に仰せになりました。『わたしは平和をあなたに残し、わたしの平和をあなたに与える』。わたしたちの罪ではなく教会の信仰を顧み、おことばのとおり、教会に平和と一致をお与えください」