第六の願い “わたしたちを誘惑に陥らせず”

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第六の願い “わたしたちを誘惑に陥らせず”

カテゴリー 折々の想い 公開 [2010/10/09/ 00:00]

種子島教会

種子島教会

「主の祈り」のことをしばしば初めの二語で呼ぶ習慣がある。ラテン語では”Pater Noster”、フランス語では”Notre Pere”といった具合である。日本語では、旧い訳で「天にまします」と呼ばれていたが、現在の訳では「天におられる」というべきか、それともヨーロッパの習慣に倣って「わたしたちの父よ」と呼ぶべきか、迷うところだ。

さて、主の祈りの第六の願いは「わたしたちを誘惑に陥らせないでください」であるが、これは、神がわたしたちを誘惑しないようにとの願いではない。「神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、ご自分でも人を誘惑したりなさいません」(ヤコブ1,13)。「かえってわたしたちを誘惑から解放したいと望んでおられます。わたしたちは御父に、わたしたちが罪に導く道に足を踏み入れるのを放置なさらないようにとお願いします。わたしたちの心は霊と肉との戦いに巻き込まれています。この第六の願いは、識別と力との霊を嘆願するものです」(カトリック教会のカテキズム2846)。

そこでまず、試練と誘惑とを識別する霊を願わなければならない。試練とは、人間の成長を助けるもので、この世の苦労やつらさなどである。この世は様々な悩みや苦しみが満ちている。それらを耐え忍び、心を鍛えて成長していくのである。一方、誘惑は人間を罪に導くものであって、誘惑に負けないよう戦わなければならないものである。問題は、誘惑を受けることとこれに同意することを識別することである。誘惑を受けることは罪ではなく、これに同意するときに罪になる。しかし、誘惑はしばしば「虚偽の仮面」をもって現れるので、それと識別することが難しい場合が多いのである。人祖の罪の場合、悪魔はエバに禁断の木の実を食べれば神のようになる、と誘惑したが、エバにとってその実はいかにもおいしそうで食欲をそそるものであった。しかし、食べた結果は死であった。

現代生活においても、美しく好ましい仮面をかぶった誘惑が世に満ちている。たとえばお金。貨幣経済においてお金は必需品であり、金さえあれば何でも手に入り、豊かさは何よりも大切なものに見えるが、実際には、お金は利己主義を育て、本当に幸せの源である神を忘れさせる危険なものであることを忘れさせるものでもある。キリストは、「金もマンモンとに兼ね仕えることはできない」(マタイ6,24)と言われ、「金持ちが天の国にはいるのは難しい」(マタイ19,23)と言われた。神のみ旨に従ってお金を使うか、お金の奴隷として使われるか、識別の霊を祈り求めることの大切さを忘れてはならない。お金のほかにも誘惑は世間に満ちている。構造的な罪と言われるほど社会の常識はゆがんでいる。いかに識別が大切であるかがわかろうというものである。

と同時に、誘惑に陥らないためには、誘惑と戦う強い意思が必要である。「わたしたちは霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従って前進しましょう」(ガラテア5,25)と聖パウロも勧めている。わたしたちが聖霊に同意することによって、御父は力を与えてくださる。聖パウロは言う。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練とともに、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます」(1コリント10,13)。

ところで、主キリストは、ヨハネから洗礼を受け、霊に満たされて宣教を開始するに際して、まず荒れ野に導かれて悪魔の誘惑をお受けになった。ルカ福音書によれば、イエズスは、「神の子なら、この石にパンになるよう命じたらどうか」、「もしわたしを拝むなら、地上の国の一切の権力や繁栄を与えよう」、そして、神殿の屋根に立たせて、「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。『天使たちは手であなたを支える』と書いてある」という、三つの誘惑をしかけたが、イエズスは、ご自分の使命を裏切らせようとする誘惑をきっぱりと退けられた(ルカ1-12参照)。

キリストはこのように、人となってわたしたちの間に来られ、われわれ人間と同じように誘惑に遭われ、わたしたちを誘惑に対する勝利へと導いてくださる。「わたしたちがいただいている大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではありません。彼は、罪を犯したことはありませんが、すべてにおいてわたしたちと同じように誘惑を受けた方であるのです」(ヘブライ4,15)。

それにしてもわたしたちは弱い。誘惑に陥らないように、信頼を込めて祈らなければならない。主は言われた。「誘惑に陥らないように、目覚めて祈りなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(マタイ26,41)。



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