新福者ニューマンと信徒の地位・養成問題

糸永真一司教のカトリック時評 > 折々の想い > 新福者ニューマンと信徒の地位・養成問題

新福者ニューマンと信徒の地位・養成問題

カテゴリー 折々の想い 公開 [2010/11/25/ 00:00]

列福式を司式した教皇

列福式を司式した教皇

さる9月19日、教皇ベネディクト16世は英国公式訪問の最終日、バーミンガムのコフトン・パークでのミサで、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿(1801-1890)を福者の列に加えた。なぜ今ニューマン枢機卿の列福なのか、その意味を考えてみよう。

正直言って、わたしはニューマン枢機卿について詳しいことは知らなかった。そこで、岡村祥子・川中なほ子編『J.H.ニューマンの現代性を探る』(南窓社2005年)を購入して読んだ。この本は、川中さんを会長とする日本ニューマン協会の20年にわたる研究の成果を10編の論文にまとめた好著である。

この本によると、枢機卿は英国国教会(聖公会)の家庭に生まれ、合理主義的な世界観と啓蒙思潮の影響を受けて育った。しかし、15歳にして福音主義の感化を受けて回心し、生涯独身の決意を固めた。そして、聖公会とカトリック教会との狭間で、教会の歴史研究から教会のカトリック性や使徒継承など、聖なる伝承に基づくエキュメニカルな刷新を求め、大学の理念や信徒の地位向上論など、現状認識からカトリック教会の近代化を訴えた。

1962年、第2バチカン公会議を招集した教皇ヨハネ23世は、「この公会議はニューマンの公会議である」と語ったという。これは、この本の執筆者の一人である西原廉太立教大学助教授の言であるが、もしこれが本当なら、教会刷新の父として、あるいは教会現代化の先駆者としてのニューマン枢機卿の役割がようやく結実の時を迎えたということであろう。今この小論で新福者の業績全体に触れるわけにはいかないので、その中から、教会における信徒の地位と役割に関する彼の主張を取り上げる。

44歳にしてローマ・カトリック教会に帰正したニューマンは、「教会は聖職者と信徒との共同体である」との信念から、あらゆる機会をとらえて信徒に対する尊敬と理解を表明し、生き生きとした教育のある信徒の重要性を説いてやまなかった。その一つの理由は、英国教会において信徒の位置と役割が重視されていたのに対し、カトリック教会においては、信徒の地位の低さと教育のなさに愕然としたからだという。

しかし、ニューマン枢機卿の訴えは、当時、歓迎されないばかりか、非難や抵抗に遭う。ようやく20世紀になって信徒神学が起こり、カトリック・アクションなどの信徒活動が推奨されるようになり、遂に第2バチカン公会議において信徒の地位と使命が解明された。まず、教会共同体において信徒は聖職者と平等の地位と尊厳を有することが宣言される。

「教会の中で、すべての人が聖性に招かれ、神の義のもとで同じ信仰を受けている。ある人々はキリストのみ旨によって他の人のための教師・秘義の管理者・牧者に立てられるのであるが、キリストのからだの建設に関するすべての信者に共通の尊厳と働きの点ではすべての人は平等である」(教会憲章32)。

信徒独自の使命については次のように述べる。「信徒によらなければ教会が地の塩となり得ない場所と環境において、教会を存在させ活動的なものとすることが、特に信徒に与えられた使命である」(教会憲章33)。

考えてみれば、18世紀以来、人類は近代合理主義や啓蒙思想の影響を受けて、人間理性の神からの独立志向や政教分離による国民国家の世俗主義(神離れ)が進む一方、信仰は公の場から締め出されて私的な世界に閉じ込められ、世間からいわば隔離された聖職者の影響は世の中、特に科学技術や政治や実業の世界には届かなくなった。だから、世俗社会の中にいる信徒たちの内側からの働きかけがなければ社会の福音化は進まない。ところがニューマン当時、そのための信徒の養成は行われず、聖職者の指導だけで十分だと考えられていた。この聖職者主義(clericalism )は、その後克服されたのだろうか。

ニューマンから一世紀、ヨハネ23世は、世俗の学問の発展に比べて信徒教育の出遅れを指摘せざるを得なかった。「あまりにもしばしば、多くのところで、宗教教育と一般の学問教育との間に均衡がなく、学問教育は高度に推し進められているのに、宗教教育は初歩の段階にとどまっている」(回勅『地上の平和』149以下参照)。これが平和回勅の言葉であること考えれば、専門知識と信仰の知識を併せ持つ高度に養成された信徒リーダーの不在ゆえに、二次にわたる世界大戦を食いとめることができず、世界平和構築に強いリーダーシップを取れなかったことへの痛切な反省の弁である。それからすでに半世紀。事態が抜本的に改善された証しはない。

ベネディクト16世は列福式の説教で新福者の信徒教育論を指摘したが(カトリック新聞の列福記事参照)、信徒養成について高邁な理想を掲げたニューマンを顕彰することが、今回の列福の一つの狙いであったことは間違いない。