キリストの洗礼の神秘

キリストの洗礼の神秘

カテゴリー 折々の想い 公開 [2011/01/10/ 00:00]

110111洗礼と言えば、「生き方や考え方に大きな変化をもたらすような経験をすること」(広辞苑)として多方面に使われる場合もあるが、本来はキリスト教独特の入信の秘跡であって、「キリストの洗礼」に端を発する。その祝日(今年は1月9日)に因んで取り上げてみよう。

聖書によれば、洗礼の物語は洗礼者ヨハネの悔い改めの洗礼に始まる。「そのころ(紀元30年ごろ)、洗礼者ヨハネが現れ、ユダヤの荒れ野で教えを宣べ伝えて、『悔い改めよ、天の国は近づいた』と言った。…さて、エルサレムや全ユダヤ、また、ヨルダン川周辺の全地域の人々がヨハネのもとに来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた」(マタイ3,1-6)。これらの出来事を現教皇ベネディクト16世は「当時のエルサレムの歴史的な瞬間、その湧き立つような雰囲気」(『ナザレのイエス』36㌻)と形容しているが、紀元前1500年以来予告され約束されてきた、何か大変なことが起こりそうな空気が漂っていた。

そこへイエスが現れる。「イエスは洗礼を受けるために、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところにおいでになった。しかし、ヨハネはそれを思いとどまらせようとして、『わたしこそあなたから洗礼をうけるべきなのに』と言ったが、イエスは、『今は止めないでくれ、なすべきことをすべえて果たすのはわたしにとって正しいことです』と言われた。ヨハネは譲ってお言葉どおりにした」(マタイ3,13-15)。洗礼は罪の赦しのためで、罪のないイエスに無縁のものであるが、今は洗礼を受けることが「正しいこと」、すなわち神のみ旨を果たすこと、としてこれを受けられる。聖書は続ける。「イエスは洗礼を受けるとすぐ水からお上がりになった。すると、みるみる天が開けて、神の霊が鳩のように自分の上に下って来るのをご覧になった。そのとき天から『これはわが愛する子、わが心にかなう者である』という声がした」(同上3,16-17)。以上がキリストの洗礼のあらましであるが、この出来事の中にどんな隠された意味、すなわち「神秘」があるか、探ってみなければならない。

カトリック教会はキリストの洗礼についてこう教える。「キリストの洗礼は、神の苦しむしもべとしての使命の受諾であり、その開始でもあります」(『カトリック教会のカテキズム』536)。洗礼の形式は水に沈められることであるが、水は「死の象徴」であり、同時に「いのちのシンボル」でもある。人となられた神の子キリストは、人類の頭ないし身代わりとしてその罪を一身に負い、洗礼の水に沈められて罪を滅ぼし、水から上がって新しいいのち、かつて第一のアダムの罪によって失った神の似姿を回復し、聖霊に生かされる神の子としてのいのちへと再生させるのである。そして「これはわが愛する子、わが心にかなう者である」という天の声は、御子の使命の受諾と実現を承認する御父の宣言にほかならない。

そして教会は、キリストの洗礼の中にすでに十字架の死と栄えある復活の神秘が先取りされていると、教えている(カテキズム537参照)。「イエスの洗礼において先取りされた十字架上の死と、洗礼の際の天からの声によって告知された復活は、ここに現実となったのです。洗礼者ヨハネの水による洗礼は、イエスの生涯と死を通しての洗礼によって完成されました」(『ナザレのイエス』40その㌻)。こうして、キリストの洗礼はその救世の使命の集約でもあると言える。

キリストの洗礼の神秘は、救いの業が完結した聖霊降臨の日より、各個人に適用されることになる。人間は、教会における「洗礼の秘跡」を受けることによって、キリストの洗礼の神秘にあずかり、見えるしるし(秘跡)である洗礼を通して見えない救いの「神秘」にあずかるのである。主は言われた。「人は水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3,5)。そして、キリストはこの洗礼の神秘を万人に述べ伝えることを望み、弟子たちを派遣して言われた。「あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。父と子と聖霊の名に入れる洗礼を彼らに授けなさい」(マタイ28,18-19)。こうして神は「すべての人が救われることを望む」(1テモテ2,4)のである。

従って、教会の本質的な使命である福音宣教は、キリストの洗礼の宣言とこれを自らの洗礼によって受諾するように招くものでなくてはならない。そして、この招きを知り、理解した人は洗礼を受け入れる必要がある。主は言われる。「信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罰せられる」(マルコ18,16)。いまや人間の究極の救いと運命は、自由な存在として造られた人間の責任(responsibility ―応答能力)にかかっているのである。



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