教皇ヨハネ・パウロ2世の訪日30周年(2)

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教皇ヨハネ・パウロ2世の訪日30周年(2)

カテゴリー 折々の想い 公開 [2011/02/25/ 00:00]

110225ヨハネ・パウロ2世は「空飛ぶ教皇」と言われるほど海外訪問に出かけた。その数は104回を数えるが、訪日はその9番目になる。前回述べたように、教皇は日本司教団の招きを受けて日本のカトリック教会を訪問するために来日したのであるが、しかし、それは同時に日本国への訪問には違いなく、その意味でも教皇訪日は世界の注目を浴びた。

その意味でも、教皇訪日の詳細を世界に発信するマスメディア対策は重要であった。そのため、私は当時司教団の中の広報委員長として、大手広告会社である電通と博報堂の協力を求め、国内はもちろん、海外の主要メディアの取材に協力したが、ほぼ満足すべきものであったと思う。

さて、教皇の日本国に対する姿勢を示す幾つかのハイライトを私は思い出している。まずは、羽田空港に降り立った教皇が、日本の大地に膝をかがめて口づけをしたことである。口づけは愛と尊敬を表すヨーロッパの風習であるが、日本人にもその意味は良く分かる。その上、教皇は短い日本滞在の間、三度のミサや叙階や洗礼の秘跡、平和アピールや演説、挨拶その他のメッセージを全部日本語でなされた。そのために教皇は訪日前、日本語の特訓を受けられたという。これまで日本を訪れた外国の元首の中に日本語で話した人は一人もいない。言語は文化の象徴である。日本文化に対する教皇の深い思いが偲ばれる。

教皇は皇居に昭和天皇を表敬訪問された。天皇が日本国民統合の象徴であるならば、この天皇表敬訪問は同時に日本国民への表敬を表わすものと見てよいだろう。この訪問は昭和天皇個人にとっても感慨深いものであったに違いない。昭和天皇は、皇太子裕仁としてヨーロッパを訪問した際、1921年(大正10年)、バチカンを訪れ、白衣のベネディクト15世に謁見した。世界における教皇の地位と権威を実感した天皇はバチカンとの国交を望み、ついに1942年(昭和17年)、自らのイニチアチーブで国交を樹立し、公使を派遣した。今そのバチカンの主が白衣に身を包み、皇居に天皇を表敬訪問したのである。感無量のものがあったのではないかと推察する。

教皇はまた、駐日バチカン大使館に鈴木善幸首相を迎え、教皇訪日を受け入れた日本政府の好意に感謝を現わされた。日本政府は警察庁を中心にして万全の警備体制を敷き、教皇の安全を守ったのである。教皇は長崎における「離日メッセージ」の中でも日本政府の好意ある接待に感謝して言われた。「礼を尽くして私を歓迎し、わたしの日本訪問や国内の移動に対して便宜をはかってくださった日本政府に、あらためて感謝いたします」。

訪日中の教皇は様々な個人や団体に会われたが、その中で注目すべきは「諸宗教代表者との集会」である。日本は神仏習合の伝統的な文化に生きている国である。かつては悲しい対立や迫害の歴史もあるが、今や政教分離の国であり、信教の自由も確立されている。それに加え、カトリック教会も第2バチカン公会議をもって諸宗教への姿勢を改め、諸国、諸民族の文化を尊重し、諸宗教との対話の時代へと転換している。教皇訪日の時にはわが国諸宗教ともすでに対話が開始されており、互いの交流も決して少なくはなかった。

諸宗教代表者の集会には、全日本仏教会から10人、神社本庁から8人、教派神道連合会から4人、新日本宗教団体連合会から6人、そして諸宗教から2人、合計30人が参加した。挨拶の中で教皇は、何度も日本を訪れて諸宗教の代表者と交流したピニエドリ枢機卿を想起しつつ、言われた。「私たちの相互関係は非常に発展し緊密なものとなり、今日ここにお集まりのみなさんのほとんどすべての方が、それも一度ならず、バチカンにおいでになり、私の前々任者パウロ6世あるいは私自身にお会いくださったと言ってよいほどです。皆さんのこのようなご訪問に対し感謝いたします。今日のこの集いは、その一つのお返しの意味でもあります」。そして教皇は、「皆さんは伝統ある知恵の後継者であり、守護者です」と言って日本の精神的、倫理的伝統を守って来たことを称賛すると同時に、「私たちキリスト者が宣べ伝えるのはイエズス・キリストである」と宣言された。「宗教間対話」と「キリストの宣言」とは両立するものであり、教皇はその範を示されたのである。

もう一つ、九段の日本武道館で行われた「ヤング&ポープ大集会」を忘れてはなるまい。6000人の青年たちが熱狂して迎える中、教皇はにこやかに入場し、親しく対話を交わされた。そして言われた。「人間は何のために生きるのか、いったいどこへ行くのか、という人生の目的と未来について、一緒に考えてみたい」と。さらに、「現代の進歩に伴う物質主義や自己中心主義が入り込んで、本当に満足を与える道徳的、精神的価値をもみ消す危険があると」と指摘し、「若者として、世界のビジョンと人間性のビジョンをしっかり持つように」と諭された。

こうして、教皇の訪日は日本とバチカン、ひいては日本人とキリスト教との出会いの、忘れることのできない歴史的な出来事となった。