教皇ヨハネ・パウロⅡ世の訪日30周年(3)

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教皇ヨハネ・パウロⅡ世の訪日30周年(3)

カテゴリー 折々の想い 公開 [2011/03/10/ 00:00]

講演する教皇

講演する教皇

1981年2月23日午後、教皇ヨハネ・パウロⅡ世は、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、日本到着の挨拶として「私は、平和の巡礼者として、この日本に来ました」と述べられた。核兵器の最初の被爆国・日本から全世界に向って平和を訴え、そして祈ることは、教皇として当然の使命であり悲願であった。

24日の後楽園球場におけるミサにおいては次のように述べられた。「世界最初の原子爆弾の傷跡がいまだにはっきり残るこの国で、「あなたがたに平和」と言うキリストの言葉は、特別に力強く響きます。この言葉に私たちは答えなければなりません。この言葉の中に、恐ろしい最後の警告を響かせなければなりません。この言葉はまた、世界平和のために人々があらゆる協力をするための無条件の呼びかけとならなければなりません」。そして、説教の結びで、「この世が与えることのできない神の平和を、キリストを通して皆さんの心が見出すことができますように」と祈られた。

翌25日には、広島の原爆地に立って言われた。「本日、私は深い気持ちに駆られ、「平和の巡礼者」としてこの地に参り、非常な感動を覚えています。私がこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信を持っているからです」。そして、核兵器がいかに悲惨な破壊をもたらすかを語り、平和尾の重要性を訴えた後、真っ先に世界の指導者に向って、「各国の元首、政府首脳、政治・経済の指導者に申します。正義のもとで平和を誓おうではありませんか。今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は許されるべきではないという固い決意をしようではありませんか。人類い同胞に向って、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。暴力と憎しみに代えて、信頼と思いやりとを持とうではありませんか」と訴えられた。

そして、教皇は平和アピールの後半で荘厳に祈られた。「最後に、自然と人間の創造主、真理と美の創造主に祈ります。神よ、私の祈りの声をお聞きください。それは、個人や国家の間のあらゆる紛争や暴力の犠牲者の声だからです」と唱えながら、あらゆる戦争や暴力によって苦しみ、平和を切望するすべての人々を代弁して祈られた後、「神よ、私の祈りを聞き、世界にあなたの「永遠の平和」を与えてください」と結ばれた。教皇のこの祈りこそ、その平和アピールの頂点であり、核心であって、教皇の平和アピールの特異性を示すものであった。なぜなら、東京後楽園におけるミサの説教で言われた通り、真の平和は、罪深い人間の中にではなく、神のうちにのみあるもとであって、従って、人類が神に立ち返るのでなければ、地上の平和は実現しないことを意味しよう。世界平和は神のたまものなのである。

教皇は、平和アピールの後、隣接の講堂で、広島・国連大学共催の記念講演会に臨まれ、「技術・社会と平和」と題して平和演説をなさった。世界の学者や指導者に向けた格調高いこの学術講演はあまり知られていないが、実は世界平和実現へ向けての道筋を示す重大な講演であり、この講演内容を理解しない限り世界平和を語れないほどのものである。今その全貌を紹介する紙面も余裕もないから、一点だけを指摘する。

教皇は言われた。「人類社会にとって、特に科学界にとって、人類の未来は、かつてなく、我々の集団としての道徳的選択にかかっています」。ここに言う選択とは、「存在」か「所有」かのどちらを選ぶかという選択のことである。存在とは人間存在、人間としてのふさわしいあり方のことで、それは、すべての、そして一人一人の人格の尊厳、神の似姿として造られ、神のいのちにあずかるべく造られた人間の存在を意味する。一方、「所有」とは、財貨の所有を意味し、金持ちこそが優れた人間であり勝者であるする価値観で、教皇はこれを「所有のイデオロギー」と表現された。抑制なき資本主義、経済第一主義、市場原理主義などと呼ばれ、アメリカや日本を始め、世界を支配しているイデオロギーである。

要するに、人間性かカネかという二者択一の中で、道徳的選択、すなわち、倫理原則に立って人間性を選択するよう、教皇は訴えた。そして、政治の役割の重要性を強調すると同時に、人間性を開発し発展させる文化と、その根底にある宗教の重要性を合せて強調されたのである。

教皇の平和理論を見ていて思うことは、憲法9条は世界平和への正しい道であるかのような議論が見られるが、憲法9条で戦争を否定しながら、経済第一主義を掲げ、財貨の奪い合いを通して戦争やテロの原因を作り、多くの貧困層を不幸に陥れる日本の価値観を厳しく批判したとも取れる。教皇の平和講演は、あらためて検討される必要があるのではないか。