復活祭の日取りについて
カテゴリー 折々の想い 公開 [2011/04/25/ 00:00]
まず、復活祭は「春分の後の満月の後の日曜日」に祝われることになっている。『カトリック教会のカテキズム』は言う。「ニケア公会議(325年)は、全教会が、キリスト教の過越祭(復活祭)が春分後の満月(ニサンの月の14日)の後の日曜日に祝われることで合意しました」(n.1170)。この決定は、1582年のグレゴリウス歴の後も変わることなく、今日まで守られてきた。この取り決めに従って、今年の春分・3月21日後の満月、すなわち4月18日の後の最初の日曜日は4月24日になるわけである。
ところで、春分が基点とされる理由はと言えば、それは旧約時代の「イスラエル人の過越祭」に由来する。聖書思想事典によれば、「過越祭は、春分の後の満月の夜、すなわちアビブの月(“穂の月”の意で、捕囚後は“ニサンの月”とよばれる)の14日の夜に祝われた」とある。この過越祭は、イスラエル人がエジプトの奴隷から解放されて約束の地に移った、いわゆる「過越」を記念する祭りで、キリストの復活は、旧約の過越で予告され約束された「真の過越」の成就、すなわち人類がサタンの支配から神の支配(神の国)に導かれたことを記念するものであり、従って、主の復活祭(新約の過越祭)は旧約の過越祭の日取りなどの形式を引き継ぎながら、その意味するところはイスラエル人の過越祭を全く超えるものなのである。ただ、キリストの復活が日曜日であったところから、春分の後の満月の日ではなく、満月の後の最初の日曜日に復活祭を祝うことにされている。
ここにもう一つの問題がある。それは150年も前から多くの人がグレゴリウス歴の改正を求めてきたことである。理由としては、月の長さの不同や週日の配分などが挙げられている。しかし、グレゴリウス歴の改正は、西欧においては、教会歴の改正なくしては考えられないのである。つまり、年一度の復活祭と週の復活祭である日曜日との関連の重要さに理由がある。第2バチカン公会議はこの問題を取り上げて、教会の見解を明らかにした。典礼憲章の付録「暦の改定に関する第二バチカン公会議の宣言」がそれである。その中で、「復活の祝日を、グレゴリウス歴の一定の日曜日に定めることについては反対しない。ただし、暦の改定を受け入れるただ一つの条件は、「日曜日を含めて七日からなる一週間をそのまま守るもののみに反対しない」というものである。
公会議のこの宣言の意味するところは、週七日の第一の日に「主の復活」を記念するという、教会典礼の最重要事項を守ることである。典礼憲章は、第5章典礼歴年の中で、「愛の母なる教会は、神聖なるその花婿の救いの御業を、一年を通して、一定の日に、聖なる想起をもって祝うことを自己の務めとしている。毎週、教会は「主日」と名付けた日に、主の復活を記念し、また、年に一度、復活祭の盛儀をもって主の幸いの受難とともにそれを祝い続けるのである」(102項)と述べた後、主日について次のように述べる。
「教会は、キリストの復活の当日にさかのぼる使徒伝承により、復活秘義を八日目(筆者註・日曜日)ごとに祝う。その日は、その故にこそ、主の日、又は主日と呼ばれている。この日、キリスト信者は、一つに集まらなければならない。そして神のことばを聞き、聖体祭儀に参加して、主イエズスの受難と復活を記念し、『イエズス・キリストが、死者のうちから復活されることによって、生きる希望へと再生させたもうた』(1ペトロ1,3)神に感謝をささげるのである。従って、主の日は、信者の信仰心に明示し強調されなければならない根源の祝日であって、こうして、喜びの日、休息の日ともなるのである。他の祭儀は、真にきわめて重要なものでない限り、主日に優先させてはならない。それは、この日こそ全典礼歴年の基礎であり、中核だからである」(106項)。
このところ、暦改定の話は全く聞こえないが、主の復活を週の第一の日、すなわち日曜日ごとに記念し、年に一度、復活祭を盛儀をもって記念することの重要性をあらためて心に銘記したい。