キリスト教信仰の社会的展望

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キリスト教信仰の社会的展望

カテゴリー 折々の想い 公開 [2011/07/10/ 00:00]

カトリシズムキリスト教とは何か、をあらためて問うとき、キリスト教信仰の共同体的、社会的展望に触れないわけにはいかない。単なる個人の救いではなく、人類全体の根源的な一致回復こそがキリスト教の本質的救いであり、教会のカトリックたるゆえんである。

キリスト教における「救いの希望」について、それが個人主義的なものではなく、共同体的なものでることについて、教皇ベネディクト16世は、述べている。

「キリスト信者は、この『知らずして知っていること』(筆者注・救いの希望)を象徴的な比喩で表そうとしてきました。こうして『天国』(le ciel)のイメージが発達しました。もっとも『天国』は、否定の道を通じて知りうること、すなわち無知を通して知りうることからつねにかけ離れたものです。希望をこのように象徴的に表現することが、世々にわたって、多くの人々を信仰によって生きるように促しました(中略)このような希望は、近代になってますます厳しい批判にさらされるようになりました。それは、悲惨なこの世を捨て、自分だけの永遠の救いに逃避する、純粋の個人主義に対する批判であると考えられます」(回勅『希望による救い』13)。

教皇が言うとおり、人間のイメージを絶する「永遠の救い」の知られざる真実を人間の想像の産物としての天国のイメージで表現することは無理な話であっても、天国の希望を信仰の励みとしたことを非難するわけにはいかない。ただ、そうした希望の中に「個人主義」が入り込む危険はあった。回勅はつづけて、救いは共同体的である、と言う。

「これに対してド・リュバクは、教父神学の全体に基づいて、救いは『共同体的』なものと考えられてきたこと示すことができました。(中略)教父たちは、罪を人類の一致の破壊、すなわち人類の分散と分裂と考えました。(中略)そこで、『あがない』とは一致の回復であることが明らかとなります。『あがない』によって、わたしたちは再び一つに集まり、世において信者の共同体を形づくり始めるからです」(同上14)。

ここに名指される「ド・リュバク」とは、第2バチカン公会議においても指導的な役割を果たした神学者アンリ・ド・リュバク(Henri de Lubac ,1896-1991)のことで、その著書『カトリシズム――キリスト教信仰の社会的展望』(小高毅訳、エンデルレ書店/19899)の中に教皇ご指摘の「教父神学」の全体像が詳しく紹介されている。教父神学は福音のメッセージの忠実な解釈でるとして重視されているものであるが、教皇が回勅の中で言及しているのは著書の第一章「教理」の部分である。今少しコメンントしてみよう。

教父神学で言われる「罪とは、人類一致の破壊である」という教説の前提は、人類が天地創造の初めから、同一の人間本性(本質)を共有する「一つのもの」として創造されたことにある。人祖アダムの創造は、アダム個人であると同時に人類全体の創造を意味したのである。したがって、アダムの罪は人類全体の罪であり、その罪ゆえに、人類は神から離散すると同時に、人類自体も分裂し四散したのである。今日の世界が分裂し、対立して殺し合う有様を見れば、この教説の真実味が実感されよう。

これと同時に、一つの人類を創造したのは「唯一の神」でなければならないことを意味する。「神の一性の教説は人間の一性の教説との絆を確立し、現実のうちに一神論を基礎付け、それに完全な意義を与える」とリュバクは述べている。人類がもともと一つであるのなら、人類を造った神も一体でなければならない。一神教は人類一致の原理なのである。

最後に、人類一致の回復と完成は、人間の業ではなく、神の業である。つまり、人間となった神の子キリストが、まず人間性においてすべての人間と一つに結ばれる。第2バチカン公会議は言う。「神の子は受肉することによって、ある意味でみずからをすべての人間と一致させた」(現代世界憲章22)。そのうえで、人類を代表し、人類に代わって人類の罪を購い、人類の当初の一致を回復すると同時に、これを超自然的な神の子らの一致へと完成されるのである。このあたりの事情を、ヨハネ福音書は、人となった神の子キリストの十字架上の死は、「散らばった神の子らを一つに集めるためでる」(ヨハネ11,52)と述べ、聖パウロも、「(神の内に秘められていた計画とは)、すべてを頭であるキリストのもとに一つに集めることである」(エフェゾ1,10)と明快に述べている。

人類一致の回復と完成こそ、キリスト教のメッセージであり、使命である。そして救いは共同体的であり、人間本性はキリストにおいてすでに救われており、各人は自由意志による人格的な決断によってこの事実を追認するのである。



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