海外で活動する日本人宣教者
カテゴリー 折々の想い 公開 [2011/10/11/ 11:11]
過日、「日本カトリック海外宣教者を支援する会」の機関紙『きずな』116号をいただいた。紙上、“宣教者からのお便り”の中に、鹿児島出身で、一時わが司教館で勤務したことのあるシスター有薗順子(ショファイユの幼きイエズス修道会)の便りがあった。
このシスターは30年も前から、炎天下では摂氏60度にもなるという灼熱のアフリカのチャドに派遣された、いわゆる海外宣教者で、今は首都ンジャメナにあるカトリック宿泊センターで奉仕している。彼女は便りの後半に書いている。
「私たちの修道会が首都ンジャメナの大司教様の要請を受けてこのカトリック宿泊センターに来てから今年で23年になります。この施設は聖職者、宣教者たちを優先し、空き部屋があればミッション関係者の方々を受け入れます。ここンジャメナには、チャドで唯一の国際空港があり、いろいろな方が出入りされます。今から8年前、炊事を担当していた方が暑さに耐えられず帰国した後、この役が私に任されました。料理など習ったことはなく、全く我流、見覚えでしかできない私ができるはずがないと、一晩、一睡もしませんでした。しかし、出来るだけやればよいのだと自分に言い聞かせて、人に尋ねたり、本を見たりしながら、2人のコックとどうにか続けています。
疲れ果てた宣教者たちが研修会、会議、買い物などで宿泊され、帰られる時、満面の笑顔で「ありがとう」と言って僻地に帰って行かれます。この方々は私に代わって宣教してくださっているのです。宣教者の「生命への奉仕」「エレルギーの源」になっているのだと誇りに思うようになりました。冷水も充分にあげられず、冷たいデザートなど滅多に出せませんが、それでも40を超える国の宣教者の方々は、扇風機さえ使用できない、世界一暑いと言われるンジャメナのカトリック宿泊センターの滞在を喜んでくださいます。ここでの私のミッションをどれほど多くの方が支えてくださることでしょうと思いながら、日々皆様のためにお祈りと感謝をお捧げしております」
あまりにも恵まれた生活条件の日本からは想像もできない厳しい環境の中で奉仕するシスターの姿がしのばれる。この便りを読みながら、わたしは深い感動を覚えた。『きずな』にはこの他にも、ブラジル、パラグアイ、ボリビア、カンボジアで様々に活動している修道女たちや信徒宣教者たちの便りが載せられている。5年前のものであるが、わたしの手元にある「海外宣教者名簿2006」によれば、日本カトリック教会から海外に派遣されている宣教者と南米で召命を受けた宣教者は合わせて440人を数える。これらの宣教者たちが南アメリカ、アフリカ、そして東南アジアで活動していることは日本の教会の誇りとして記憶されなければならない。
また、これらの海外宣教者たちを支援している「日本カトリック海外宣教者を支援する会」についても、これを忘れることはできない。第41回運営委員会議事録によれば、この会は、①宣教地からのレポートと国内会員の声などを掲載した広報紙「きずな」を年4回発行して交流を図ると同時に、②世界各地の宣教者から申請のあった援助について、資料を基にして実績や内容について運営委員会で検討し、緊急性や必要性の高いものから援助を決定して実行しているという。この支援する会は、現在の会員数は、法人・団体会員2034件、個人会員507名、賛助会員64名となっている。
日本のカトリック教会は、聖フランシスコ・ザビエルをはじめとするキリシタン時代の宣教師たちはもちろん、鎖国が解けた1858年(安政5年)以来、パリ外国宣教会の司祭たちをはじめ、数多くの司祭・修道士・修道女たちが世界各地から来日して宣教活動を展開した。特に第2次大戦後には、外国宣教師たちの活動は活発を極めた。わたしがモントリオール留学当時、カナダの教会は10月の「世界宣教の日」には外国宣教のために多彩な行事を開催して宣教意識を高めていた。また年間を通して宣教地支援の募金活動が信仰弘布会担当司祭の手で行われていた。わたしも一度手伝い、銀の盆を抱えて教会の出口に立ったことがある。ミサが終わって出てくる信者たちの献金を受けるためである。
今日の日本教会の存在はこれら外人宣教師たちと、その背後から祈りと献金をもって宣教師たちの活動を支えた世界の教会のおかげであることを思い、わたしたちも日本人海外宣教者たちを支える熱意を新たにしなければならない。今月23日はその「世界宣教の日」である。