旧約聖書と新約聖書との関係
カテゴリー 折々の想い 公開 [2011/11/10/ 00:00]
まず、第2バチカン公会議(1962-65)は、新旧両約聖書の関係について次のように説明している。
「新旧両約聖書の霊感の与え主、かつ作者である神は、新約は旧約の中に隠れ、旧約は新約の中で明らかにされるという具合に、賢明に計らった。…福音の説教の中にそのまま取り上げられた旧約聖書は、新約においてその充全な意味を見出し、またそれを示し、一方では新約を照らし、説明している」(啓示憲章16)。
少し言葉の説明をしておこう。ここに言われる「新約」とか「旧約」とかは、神がその民との間に交わした二つの契約を指しており、旧い契約とは、神が、古代イスラエル民族の太祖アブラハムおよび出エジプトの指導者モーセと結んだ契約であり(創世記15,16および出エジプト24,8参照)、新しい契約とは、キリストがご自身の血をもって新しい神の民(教会)と結んだ契約(啓示憲章16)である。
次に、「聖書」とは、聖霊の霊感(inspiration)によって書かれた神の啓示(神のことば)であって、したがって、聖書の作者は神であると教会は教える。「神が、聖書の作者です。聖書に含まれ、かつ示されている神の啓示は、聖霊の霊感によって書かれたものです」(『カトリック教会のカテキズム』105)。そして、旧約時代(キリスト前の時代)に書かれた聖書が旧約聖書であり、使徒たちからの伝承によって教会が識別した「正典」(完全なリスト)は46書がある。新約時代(キリスト後の時代)に書かれた聖書が新約聖書であって、正典は27書である。
両約聖書相互の関係については、「旧約聖書は新約においてその充全な意味を見出し、またそれを示し、一方では新約を照らし、説明している」と言われているが、これを『カトリック教会のカテキズム』は次のように説明している。まず旧約聖書について、
「旧約聖書は聖書の欠くことのできない部分を成しています。その諸書は神の霊感によって書かれ、永続する価値をもっています。なぜなら、古い契約は決して無効になったわけではないからです」(121項)。
「実際、旧約の経綸は何よりもまず、世の救い主キリストの到来を準備し、預言的に知らせるために立てられました。不完全かつ一時的な事も含んでいるとは言え、旧約聖書の諸書は人を救う神の愛の教育法をよく示しています。それらの書には、神に関する崇高な教え、人間生活に関する有益な知恵、そして驚くべき祈りの宝庫を見ることができます。要するに、旧約の諸書の中には、わたしたちの救いの神秘が隠されているのです」(122項)。
「キリスト者は旧約聖書を真の神の言葉として敬います。教会は旧約聖書が新約聖書によって無効にされたとしてこれを退ける考え(マルキオン主義)を、いつも強硬に排斥してきました」(123項)。
新約聖書に関しては、
「すべての信じる者を救う神の力である神の言葉は、新約聖書の中に姿を現し、その能力は独特の仕方でそこに示されます。新約聖書の諸書は神の啓示の決定的真理をわたしたちに伝えます。その中心的内容は、人となられた神の御子イエス・キリストとその業、その教え、その受難と栄光、そしてその教会の聖霊の働きによる始まりです」(124項)。
以上で明らかなように、旧約聖書は新約聖書を準備し、新約聖書は旧約聖を実現し完成するのである。したがって、旧約聖書と新約聖書とは互いに切り離すことはできず、かえってその一貫性を視野に入れて読まなければならない。カテキズムは教えている。
「教会は、すでに使徒の時代から、またその後の伝承の中で、予型論を用いて二つの契約の間に見られる神の計画の一貫性をつねに明らかにしてきました。この予型論は、旧約時代の神のわざのうちに、時が満ちて受肉した御子ご自身において神が実現されたことの前表を見るのです」(128項)。