教会における「司教職」について

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教会における「司教職」について

カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/02/10/ 00:00]

公会議の司教たち

公会議の司教たち

わたしは先月、司教叙階42周年を迎えた。今は引退の身だが、第2バチカン公会議終了後に司教に叙階されたので、公会議が「司教職」いついて何を教えたか、その開幕50周年でもあるので、あらためて振り返ってみたい。

司教職については、当初、第1バチカン公会議(1869-70)で取り扱う予定であった。しかし、政治的混乱で公会議が続行不可能になったので、教皇の首位権や不謬性について決議しただけで閉会し、司教職の問題は積み残されてしまった。そこで、第2バチカン公会議(1962-65)においてあらためて詳しく検討されたのである。

ではなぜ、司教職についての公会議審議が必要になったのか。それは、教会創立以来2000年、司教職は「神の制定によって使徒の後継者」としてその任務を果たしてきたのであるが、その地位や権能はどこからどのように授けられるのか、必ずしも明確ではなかったからである。それまで、選ばれた者は教皇の按手によって聖霊が授けられ、司教として聖別されていた。したがって、司教の祭司職(sacerdotium)は司祭としての叙階の秘跡から来るが、その教導権や栽治権は教皇から与えられるものであって、叙階の秘跡から来るものではないという説もあった。つまり、司教聖別は、司祭叙階の本質的付加ではなく、単に名誉的なもの」と考えられていたのである。たとえば、旧教会法典を見ると、叙階の秘跡は司祭と助祭の叙階のためであって、司教の叙階については記述がない。

そういうわけで、第2バチカン公会議においては、司教聖別の「秘跡性」が議論の焦点となった。そして、長く厳しい討論の後、司教聖別は「秘跡である」と決議された。公会議は述べる。「聖なる教会会議(公会議)は、司教聖別によって叙階の秘跡の充満、すなわち教会の典礼の慣習と聖なる教父たちのことばによって最高の祭司職、聖職の総括と呼ばれている充満が授けられることを教える」(教会憲章21)。

ここに言われる「叙階の秘跡の充満」とは、叙階の秘跡が授ける権能のすべてが完全に与えられるという意味である。つまり、「叙階の秘跡による職階(ordo)は、司教職、司祭職及び助祭職であり」(新教会法典第1009条)、その最高職である「司教職」が司教聖別によって司教に授けられるのである。この意味で、司祭の祭司職は限定的なものであって叙階の秘跡を授ける権能はないが、司教は助祭、司祭を叙階する権能を持つばかりでなく、司教を叙階する務めもあるとされたのである(同上21参照)。今ではわが国でも、司教たちによる司教叙階式が各地で見られる。

公会議はさらに言う。「司教聖別は、聖化の任務とともに、教える任務と治める任務をも授ける」(同上)。つまり、諸秘跡を授ける聖化の任務ばかりでなく、教える任務(教導職)と治める任務(栽治職)も司教聖別の秘跡から、つまりキリストから直接来る「固有、本来、そして直接の(propria,ordinaria et immediata) 権能であって 、教皇を介してではない。そういう意味で、司教は教皇の任命(missio canonica)によって選ばれるが、しかし司教は「教皇の代理者とみなしてならない」(教会憲章27)と言われる。

ただし、「後者の任務(すなわち教える任務と治める任務)はその本性から、司教団体の頭ならびにその構成員との位階的交わりの中でしか行使できない」(同21)。ここに、司教聖別の「秘跡性」とともに司教職の「団体性」(Collegialitas)が指摘されている。公会議は、「主の制定によって、聖ペトロと他の使徒たちとが一つの使徒団体を構成していると同様の理由で、ペトロの後継者であるローマ教皇と使徒たちの後継者である司教たちとは、互いに結ばれている。秘跡的聖別の力により、また司教団体の頭ならびに構成員との位階的交わりにあずかることによって人は司教団の一員となる」(同上)。

このように、司教職の「秘跡性」と「団体性」の教義が「信ずべき教え」(Doctrina Fidei)として確定したことによって、教皇を頭とし頂点とする「教会の位階制度」)(ヒエラルキー)が神学的、教義的に確立されたのである。そしてこの位階制度の確立は、16世紀における宗教改革に対する反宗教改革、すなわちカトリック教会の自己改革が、トリエント公会議(1545-63)、第1バチカン公会議を経て、第2バチカン公会議によってようやく完結したことを意味し、キリスト教一致を目指すエキュメニカル対話におけるカトリックの立場を明確にする。何よりも、キリストの救いの業を引き継ぐ「一、聖、公、使徒的」教会の指導体制をあらためて強化するものであり、画期的なことであった。