教会における信徒の品位と使命
カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/03/10/ 00:00]
第2バチカン公会議(1962-65)は教会憲章第4章において、教会を構成する「信徒」の地位と役割の見直しを行なって、聖職者や修道者に比べて「信徒は二流の信者である」という誤解を解き、信徒本来のあるべき姿を浮き彫りにした。
その中から、ここでは「信徒の品位」、「信徒固有の使徒職」、そして「信徒の共通祭司職」の三点に絞って簡潔に述べてみたい。
1-信徒の品位(尊厳)
公会議は、信徒の召命と使命は世俗において使徒職を果たすことであるとして、「信徒の独自の召命は、現世的な事がらに従事し、それらを神に従って秩序づけてゆくことによって神の国を追求することである」(教会憲章31)と言う。そのうえで、世俗に生きて使命を果たす信徒は、聖職者や修道者と同じ品位(Dignitas:尊厳とも訳される)に召されていると言う。聖職者も修道者も信徒も、同じ洗礼によってキリストに結ばれ、一つの神の民を形成するからである。
そのうえ、「すべての信者に共通の尊厳と働きの点ではすべての人は真に平等であり」(同上)、「牧者とその他の信者は共通の必然関係をもって互いに結ばれているのであるから、その差異それ自身の中に結合が含まれている」(同上)と述べる。こうして、聖職者、修道者、信徒というように身分とその固有の使命においては異なっていても、教会において同じ品位、同じ責任を平等に分かち合っているのである。
2-信徒固有の使徒職
「信徒は世俗にあって神の国を追求する者」と上に言われたが、その信徒の使徒職は固有のものか、それとも聖職位階から委任されたものか、ちょっとした議論が続いていた。教皇ピオ11世(在位1922-39)の時代に推進された「カトリック・アクション」は「聖職位階の使徒職への信徒の参与」と定義され、そこに言われる「参与」と訳されたラテン語Participatio の意味が問われて、信徒の使徒職は信徒固有のものかどうかで疑問が生じたからである。
これに対して公会議は、信徒の使徒職は洗礼と堅信の秘跡によってキリストから直接授けられたもので、信徒固有の使徒職であると明確に述べた。そのうえで、「信徒によらなければ教会が地の塩となり得ない場所と環境において、教会を存在させ活動的なものとすることが特に信徒に与えられた使命である」(教会憲章33)と述べ、信徒使徒職の主要な任務は世俗において教会の使命を果たすことであると説明された。
3-信徒の共通祭司職
世俗における使徒職に召された信徒の役割は、預言者・祭司・王であるキリストの三つの使命に与るものとされるが、ここでは特に祭司職を取り上げる。教会憲章が「信徒の祭司職」について教えた時、多くの人が「信徒も司祭である」と勘違いして、疑問が広がった経緯がある。叙階の秘跡を受けて司祭になった神父さんたちの司祭職と信徒の司祭職とはどのように違い、どのように同じなのか。わが国の司教団は、この混乱を避けるために、それまで司祭職と訳されているラテン語Sacerdotiumを「祭司職」と訳し直し、司祭と祭司職を区別した。そこで公会議の教えはこうなる。司祭も信徒も同じ「キリストの祭司職」にあずかるのであるが、叙階の秘跡による祭司職は「位階的(奉仕的)祭司職」(Sacerdotium Ministeriale)であり、信徒の祭司職は洗礼・堅信の秘跡によるすべてのキリスト者に授けられる「共通の祭司職」(Sacerdotium Commune)であって、両者は本質的に異なる。
公会議は信徒の祭司職を次のように説明する。「信徒たちが、すべての仕事・祈り・使徒的活動・結婚生活・家庭生活・日々の労苦・心身の休養を聖霊において行い、なお生活の煩わしさを忍耐強く耐え忍ぶならば、これらのすべてはイエス・キリストを通して神によみせられる霊的いけにえとなり、聖体祭儀の執行において主のからだの奉献とともに父に敬謙にささげられる」(教会憲章34)。
このように、信徒祭司職の行使は、信徒の主日ミサ参加義務の本質であり、典礼憲章に言う「意識的・行動的典礼参加」(典礼憲章10)の基本である。このように、世俗と聖体を結び合わせる信徒の共通祭司職の行使があればこそ、聖体祭儀(ミサ)はキリスト教的全生活の「源泉かつ頂点」(同上参照)と言われるのである。