第2バチカン公会議の典礼改革

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第2バチカン公会議の典礼改革

カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/05/01/ 00:00]

共同司式ミサ風景

共同司式ミサ風景

教会の本性と使命をあらためて問い直した第2バチカン公会議(1962-65)は、広範囲の改革を行ったが、その中でも典礼改革はもっとも重要な改革であったということができる。典礼は教会の使命の中心であり頂点をなすものだからである。

はじめに典礼という語の説明を見ておこう。「典礼(liturgia)という語はもともと『公共の事業』、『公衆による/公衆のための奉仕』を意味する。キリスト教の伝承では、神の民が『神のわざ』に参加することを意味する。典礼によって、わたしたちの救い主であり大祭司であるキリストは、教会の中で、教会とともに、教会を通して、わたしたちの救いのわざを継続されるのである」(『カトリック教会のカテキズム』1069)。

キリストはその死と復活の秘義である「過越の神秘」(Misterium Paschale)によって世をあがなわれたのであるから、教会の典礼は、「言葉としるし」を通して過越の神秘を記念し現在化する祭儀である。つまり、典礼においてわたしたちの救いが行われるのである。

公会議はこのような典礼の重要性を次のように指摘している。「したがって、典礼は、当然キリストの祭司職の行使と考えられるもので、典礼においては、人間の聖化が感覚的なしるしによって示されるとともに、また、おのおののしるしに固有な方法で実現される。そしてキリストの神秘体、すなわち、その頭と肢体によって、公的礼拝全体が行われるのである。したがって、祭司キリストとその体である教会のわざである典礼祭儀は、すべて、卓越した聖なる行為であって、その効果においては、他のいかなる活動も、同等の理由や程度でこれに匹敵するものはない」(典礼憲章7)。そこで公会議は言う。「典礼は、教会の活動が目指す頂点であり、同時に、教会のあらゆる力が流れ出る源泉である」(同10)。

公会議は、「聖なる典礼に関する憲章」(Constitutio de Sacra Liturgia-略して典礼憲章)を、公会議の最初の実りとして、1963年12月4日に公布した。この日はトリエント公会議閉会(1563年12月4日)の400年記念の日に当っていた。つまり、トリエント公会議以来典礼改革はなかったので、400年ぶりにその機会が訪れたのであり、それは、20世紀になって活発に行われた典礼運動や教会論、秘跡論の進歩の賜物であると同時に、聖霊の強い働き掛けがあったものと理解されている。

ところで、典礼改革といっても、典礼には、不可変の部分と変化の可能な部分がある。公会議は言う。「キリストを信じる民が聖なる典礼において豊かな恩恵をより確実に得るように、母なる教会は典礼の全般的な刷新を真剣に望んでいる。それは、典礼が神の制定による変更不可能な部分と、変更可能な部分から成り立っているからである。後者は、時代の変遷とともに変更が可能であり、適当でなくなったり、あるいは典礼の本質的な性格に適合しないものが入り込んだ場合には、むしろ変更すべきものである」(典礼憲章21)。

この変更の最たるものは、ラテン典礼様式における「国語化」であろう。典礼の歴史を見ると、キリスト教を受け入れた民族の言語を中心とする文化において、いわゆる「典礼の様式」が様々に形成された。ギリシャ文化圏やエジプト文化圏のほか、ヨーロッパでもガリカ様式やミラノ様式などがある。第2バチカン公会議による典礼改革は主にラテン典礼様式に関するもので、従来のラテン語の使用からそれぞれの国語に変更が可能になった。こうしてわが国でもようやく日本人に理解される日本語の典礼に変り、また、跪礼がお辞儀になり、接吻もなくなるなど、さまざまな日本文化への適応がなされたのである。

こうした典礼の刷新がどのようにわが国の教会に恩恵をもたらしたか、第2バチカン公会議開幕50周年を迎える今、あらためて検証する機会がやってきた。何よりもまず、わが国における典礼改革がどのように行われ、また日本の文化にどこまで適応しているかを確認する必要がある。同時に、言葉としるしによって示される見えないキリストの神秘をどこまで認識し信じているか、そして、典礼参加において信徒はどのようにキリストの祭司職にあずかる「祭司的な民」としての自覚と使命感に生きているかが問われなければならない。そのために、典礼教育に関する公会議の次の指摘は重要である。

「母なる教会は、すべての信者が、典礼の挙行への、充実した、意識的な、行動的な参加へ導かれるよう切に希望している。このような参加は、典礼自身の本質から要求されるものであり、キリストを信じる民は、『選ばれた民族、王の祭司職、聖なる民、獲得された民(1ペトロ2,9)として、洗礼によってこれに対する権利と義務をもっている。

聖なる典礼の刷新と促進に当たって、全信徒の充実した、行動的参加に最も留意すべきである。それは、信者が真のキリスト教的精神を汲み取る欠くことのできない第一の泉であり、したがって、司牧者は全司牧活動において、必要な教育を通して熱心にこれを追求しなければならない」(典礼憲章14)。

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(註)写真説明―祭司職が一つであることを表現する「ミサの共同司式」は第2バチカン公会議の典礼刷新によってその適用が広げられ(典礼憲章57参照)、しばしば見られるようになった。