「教会の象型」であるマリア

糸永真一司教のカトリック時評 > 折々の想い > 「教会の象型」であるマリア

「教会の象型」であるマリア

カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/05/15/ 00:00]

聖母子像

聖母子像

今年その開幕50周年を記念する第2バチカン公会議は、教会憲章第8章において「神の母・処女マリア」を取り上げ、「マリアは信仰と愛の点で教会の象型、もっとも輝かしい範型である」と新しい称号で呼んだ(教会憲章53)。

最近あまり唱えられることがなくなった「聖マリアの連祷」には、驚くなかれ、実に48の称号ないし呼称が数えられるが、第2バチカン公会議によって「教会の象型」と「教会の範型」という新しい二つの称号が加えられた。

1-マリアは教会の象型

「象型」と訳されたラテン語はTYPUSで ある。「かたどり」といった意味であろう。そこで公会議は言う。「聖なる処女は、神の母となる賜物と役割とによってあがない主である子と結ばれ、特別の恩 恵と務めとによって教会とも密接に結ばれている。すなわち、すでに聖アンブロジオが教えたように、神の母は、信仰と愛、そしてキリストとの完全な一致の点 で、教会の象型である」(同63)。

聖マリアは、地上におられた間、神に対する純粋な信仰と愛に生きておられ、ま た、御子キリストと完全に一致しておられたと、公会議は次のように述べる。「マリアは信じて従い、しかも男を知らず、聖霊に覆われ、新しいエバとして、古 い蛇ではなく、神の使者を少しの疑いの曇りのない信仰をもって信じ、父の子自身を地上に産んだ。マリアは子を生み、神はその子を多くの兄弟、すなわち信者 たちの中の長子、とした。マリアはこの兄弟たちを生み育てるために母の愛をもって協力している」(同63)。

このマリアの信仰と愛、そしてキリストとの一致は、地上の教会の信仰と愛、そしてキリストとの一致を象徴するものである。したがって、教会は聖母マリアの中に自分の姿を映してこれに倣おうと努める。

2-マリアは教会の範型

「範型」と訳されているラテン語はEXEMPLARである。「モデル」と言い換えてもよいのではないか。公会議は言う。「教会は正当に母とも処女とも呼ばれるが、その教会の秘義の中において、聖なる処女マリアは、処女と母との卓越した独特な範型を示しつつ第一位を占めたのである」(同63)。 そして、次のように説明する。「教会は、マリアの秘められた聖性を観想し、愛を見習い、父の意思を忠実に果たし、信仰によって受け入れた神の言葉を通し て、自分もまた母となる。事実、教会は、宣教と洗礼をもって、聖霊によって懐胎され、神から生まれた子どもたちを新しい不死の生命に産むからである。また 教会は処女でもある。すなわち、花婿に誓った忠実を清く完全に守り、自分の主の母に倣い、聖霊の力によって、完全な信仰、堅固な希望、誠実な愛を清い処女 のように保つからである」(同64)。このように、その使命においてもマリアは教会の範型でありモデルである。

3-マリア信心のあり方

ついでに、聖母崇敬の態度に関する公会議の忠告を見ておこう。それは、真の聖母信心を奨励すると同時に、その過不足に注意を促すものでる。

「聖なる教会会議はカトリックの教理を熟慮のうえで教え、同時に、教会のすべ ての子らに、聖なる処女に対する崇敬、特に典礼上の崇敬を熱心に行うよう勧告し、教導職が世々勧めてきたマリアに対する信心業を重んじ、キリストの聖なる 処女と諸聖人の像の崇敬について過去において決定された事がらを厳正に守るよう勧告する。

また、神学者ならびに神の言葉を伝える人々に対しては、神の母の独特の尊厳に ついて考察する際、あらゆる偽りの誇張を避けるとともに、過度の心の狭さをさけるよう熱心に勧告する。彼らは聖書、聖なる諸教父、教会博士、教会の典礼を 教導職の指導のもとに研究して、すべての真理と聖性と孝愛の根源であるキリストに常に向けられている聖なる処女の役割と特権とを、正しく解明するようにし なければならない。彼らはまた、言葉と行いとにおいて、分かれた兄弟と他のすべての人々が教会の真の教えに関して誤りに引き入れられる恐れのあるすべての ことを、注意深く避けなければならない。

信者は、真の信心が、実を結ばない一時的な感情や、一種の空しい軽信の中にあるのではなく、真の信仰から出ることを忘れてはならない。真の信仰は神の母の卓越性を認めるよう我々を導き、われらの母を子どもとして愛し、母の徳を模倣するように我々を励ますのである」(教会憲章67)。