福音宣教の最前線:小教区
カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/07/01/ 00:00]
公会議は教令の第3章「使徒職の種々の分野について」の中で、まず「小教区」を取り上げ、教会の使命における信徒の役割について述べる。「信徒は、祭司・預言者・王であるキリストの使命にあずかる者として、教会の生活と働きの中で、行動的な役割を持っている」(教令10)。つまり信徒は、入信の3秘跡、すなわち洗礼と堅信と聖体の秘跡に基づいて教会の一員としてこれに結ばれるばかりでなく、キリストの使命にもあずかって教会の活動において行動的な役割を果たすのである。
さて、ここにいう教会とは、どこよりもまず「小教区」を指している。小教区と訳されているラテン語は”paraecia”で、これはギリシャ語のパロイコス(他国人または寄留人)からきていると言われる。わたしなりに表現すれば、小教区とは「本国である天上の国を目指して、他国人としてこの世を旅する仲間」である。この仲間は「教会」であり、キリストの共同体である。それゆえ、小教区の正式の名称は「小教区教会」(Ecclesia Paraecialis)である。
この小教区教会について公会議は言う。「小教区は団体的な使徒的活動のみごとな模範を示す」(教令10)。「団体的な使徒的活動」という語に注目したい。小教区はあくまで団体であり、共同体であって、信徒は全員が小教区共同体に参加し貢献することを通して一人ひとりが生かされていく。つまり小教区はあくまで信徒一人ひとりを生かすための手段であるが、しかし信徒は小教区に行動的に参加することが必要なのである。世の中には「無教会主義」を唱える人があり、キリスト教信仰はあくまで個人的なものであって、教会に縛られてはいけないと言っているが、それは誤りである。
公会議は言う。「小教区では、それぞれ違った人々を一つにまとめ、それを教会の普遍性に織りこんでいる」(同上)。周知の通り、キリストを唯一の頭とする「教会」は唯一であると同時に普遍的である。したがって、信徒各自は「小教区教会」という最も身近で最小単位の教会を通して「唯一にしてカトリック(普遍的)である教会に属していることになる。しかし、ここにいう普遍的な教会とは、何よりも「教区」のことである。なぜなら、普遍的な教会は「教区」の中に具現しているからである。第2バチカン公会議に基づいて編纂された「新教会法典」には、「部分教会」としての「教区」について述べる。
「単一かつ唯一のカトリック教会は、部分教会において存在し、部分教会から成り立っている、部分教会はまず教区である」(第368条)。「教区とは、司祭団の協力にのもとに司牧すべく司教に委任された神の民の一部分である。すなわち教区は、自らの牧者に固く結ばれ、かつ牧者によって福音とミサをとおして聖霊において集められ、部分教会を構成する。そこに、一、聖、公、使徒伝承的キリストの教会が真に現存し、かつ活動する」(第369条)。
そして教令は「小教区は教区の細胞のようなものである」(教令10)と言う。
小教区における信徒の働きについて教令は述べる。「信徒は、自分たちの司祭と親しく緊密に一致して、小教区の中で働く習慣を身につけるべきである。自分の問題や世の中の問題、さらに救霊に関する問題などを互いに話し合って研究し解決するために、小教区の共同体に持ち寄るべきである。また、自分が属する小教区の使徒的、宣教的なすべての仕事には、できる限りの協力を惜しむべきではない」(教令10)。
以上で明らかなように、小教区は単なる「典礼」や「行事」のためばかりでなく、宣教的かつ使徒的活動の場である。したがって、たとえば「小教区司牧評議会」の主要テーマは、「行事計画」についてばかりでなく、小教区としての「具体的な宣教計画」を練る場でもなければならない。小教区はまさに、神の国と地上の国の接点であり、福音宣教の最前線に位置しているのである。小教区が地域社会に溶け込み、あらゆる人間的な問題を共有し、これらを福音の光に照らして聖化し奉献していくために、信徒の働きは不可欠である。だから教令は言う。「教会共同体における信徒の働きは極めて必要で、これなしには司牧者もまたその使徒職をじゅうぶん効果的に遂行することができなくなる」(教令10)。信徒固有の使徒職なしに教会の活性化はあり得ないのである。