信徒使徒職の組織化
カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/07/16/ 00:00]
第2バチカン公会議が、教会における信徒の身分や役割を原点に帰って見直し、その重要性を強調したことは、このブログでも何回か言及してきたが、信徒の活動なしに教会の使命を十分に果たすことはできないからである。ここでは、信徒固有の活動の組織化について取り上げてみよう。
信徒の教会活動ないし宣教活動は「信徒使徒職」と呼ばれる。信徒は、洗礼と堅信の秘跡により主キリストから教会の使命のために派遣され使徒であるからである。信徒使徒職は、教会内で聖職者の使徒職に協力する使徒職と、世俗社会における信徒固有の使徒職とに大別される。信徒使徒職はまた、個人使徒職と団体使徒職とに分けられる。
信徒の個人としての使徒職について、公会議は言う。「信徒は個人として、それぞれの異なった生活環境において使徒職を行うよう召されている」(信徒使徒職に関する教令18)。さらに言う。「個人個人による信徒使徒職は、教会の自由が著しく阻害されている地方では、極めて重要であり急務である」(同17)。しかし、今日のわが国におけるように、信教の自由が認められているところでも、生活のあかしと言葉のあかしを通して行われる信徒使徒職は重要であり、これを無視することはできない。
しかし同時に、公会議は、社会的存在であるとともに教会共同体の一員として、「一致して自分の使徒職を果たさねばならない」(同18)と「組織的な使徒職の重要性」を強調したうえで述べている。「組織的な使徒職が非常に重大である理由は、教会の諸団体においても、また種々の分野においても、使徒職がしばしば共同の活動によって達成されることが要求されているからである。事実、使徒職の共同的な活動をするためにつくられた会は、会員の支えとなり、会員を使徒職のために養成し、使徒的活動を正しく整え統制する。その結果、各自が分散的に働くよりも、はるかに豊かな成果が期待できる」(同上)。
ここで、わたしの主任司祭のころの小さな経験から二つの例を参考までに述べておこう。
1-班組織:地域に密着した信徒使徒職団体
小教区に所属する信徒を地域別に50人ほどのグループに分け、これを班と呼んだ。目的は、生活現場である地域の中でキリスト者家庭が相互に、一切の違いを超えて一つに結ばれ、①信者相互の交わりと助け合いを実践し、②合わせて愛と友情の輪を隣近所に広げて福音のあかしとなり、地域の人間共同体の発展に寄与することである。つまり、暮らしの中の「愛の交わりと福音のあかしの小共同体」を目指したのである。幸いなことに、信徒たちは、班制度の意義を理解して協力してくれたので、所属信徒全体が、老いも若きも、日常生活の中で、信徒使徒職団体として組織的に参加することになったと思う。
ただし、班制度がその二重の目的を達するためには、主任司祭の厳しく緻密な指導が欠かせなかった。各班は、互選または指名された班長のもとに、仲間の信徒をただの一人も疎外せず、最後の一人まで大切にすると同時に、転出転入をはじめ、可能な限り互いの動静を見守り、喜びや悲しみを共有し、必要に応じて支え合うよう、常に緊張感を持って相互の交わりに努める必要があった。また、隣近所の未信者との心のこもったお付き合いを通して地域社会に溶け込む必要があった。そのために、何よりも、自分の都合を後回しにし、自分を犠牲にして他者のために尽くすキリスト教的愛に徹する必要があった。
2-JOC組会:職場の福音化を目指す働く青年のグループ・ダイナミクス
戦前、カルデン神父によってベルギ―で創立されたカトリック青年労働者の使徒的活動Jeunesse Ouvriere Chretiennne(JOC)は、戦後、カトリック青年労働者連盟としてわが国に導入され、わたしが長崎に司祭として赴任したころには浦上教会ですでに始まっており、この運動に接してわたしはひどく感動した覚えがある。わたしは主任司祭になった時、すぐにこの運動を取り入れ、わずか400人余りの小教区に男子組会(JOC)と女子組会(JOCF)を立ち上げた。この使徒職グループの目的は、若者が働く労働環境の中での信徒使徒職であって、毎週一度の集会に各現場の具体的な問題を持ち寄り、みんなでキリスト教信仰の目で「見て、判断して、実行する」ことにより、職場の福音化を目指すグループ・ダイナミクスである。
JOC運動の合言葉は「環境に入れ」の一言であった。世俗化し、しばしば非人間的な職場環境に入り込んで、福音の光でその実態を識別し、これを善意の仲間と協力して人間らしい環境に改善していくという徹底した姿勢は、若い会員たちをみるみる職場のリーダーに成長させていった。こうした世俗社会の現場に密着した使徒職こそ、信徒固有の使徒職の本分であり、こうした信徒の組織的な活動が世俗社会のあらゆる分野で繰り広げられれば、暗闇と矛盾に満ちた現代社会は明るく希望に満ちた世界に変えられていくのではないか。わたしは今でもそう思っている。