キリスト教的教育に関する宣言
カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/08/01/ 00:00]
「人間生活における教育のきわめて重大な意義と、現代社会の進歩に対して常に増大する教育の影響を、聖なる全世界教会会議は入念に検討した」と、第2バチカン公会議は『キリスト教的教育に関する宣言』の冒頭で述べた。
現代において、教育は人間社会が直面している最も緊急かつ切実な課題の一つである。高度な文明の発達と複雑極まりない現代社会を生き抜くためには、それなりの教育がなければならない。そのうえ、物質主義的な今日の世相の中にあっては、人間の本性に叶った教育の質が問われる。公会議は、すべての人間が相応の教育を受ける権利をもっていることを述べた後、キリスト教的教育とその在り方について述べている。ここでは、キリスト教的教育とは何であるかを、公会議に従って考えてみよう。
「水と聖霊から生まれることによって新しい被造物となり、神の子と呼ばれ、実際に神の子であるすべてのキリスト信者は、キリスト教的教育を受ける権利をもっている。このキリスト教的教育は、上に述べた人間の完成を追求するだけでなく、主として次のような目的を持っている。すなわち、洗礼を受けた者が徐々に救いの秘義を認識するように導かれながら、受けた信仰のたまものを日増しに、より良く意識するよう、特に典礼祭儀において霊と真理とをもって父である神を礼拝するよう(ヨハネ4,23参照)学ぶこと、自分の生活を正義とまことの聖徳において造られた新しい人に従って(エフェゾ4,22-24)形成することである。こうして、かれらはキリストの全き背丈にまで(エフェゾ4,13参照)、全き人間となり、神秘体(筆者注・教会)の発展に力を尽くし、さらに自分の召命を自覚し、かれらの中にある希望(1ペトロ3,15参照)のあかしを立てるとともに、世のキリスト教化を援助する習慣をつけなければならない。この世のキリスト教化によって、自然的な価値も、キリストによってあがなわれた人間の全体的な考察に取り入れられて、社会全体の福祉に貢献するのである。したがって、聖なる公会議は、霊魂の司牧者に、このような真のキリスト教的教育をすべての信者、特に教会の希望である青少年が受けられるよう万事を整えるきわめて重大な席委任を想起させる」(キリスト教的教育関する宣言2)。
この長文の引用から、キリスト教的教育の目的を次の三点に要約できよう。
1-救いの秘義の認識
つまり、人間となった神の子キリストの啓示によって明らかにされた、人間救済に関する父なる神のご計画を学ぶことである。これを信仰教育と一般に呼ぶが、これは特に、家庭における「折々の信仰教育」と教会学校(要理クラス)やカトリック学校で行われる「体系的な要理教育」によって行われる。
2-霊と真理による典礼参加
つまり、聖体祭儀(ミサ)を中心とする典礼祭儀に、信仰と愛をもってキリストに結ばれて、意識的かつ行動的に参加することで、これは、信徒の「共通祭司職」の行使を意味する。このような典礼参加に向かわないキリスト教教育は無意味である。
3-世俗社会における使徒的生活
信仰教育によって照らされ、典礼参加によって聖化されたキリスト信者は、家庭をはじめ、日常の政治、経済、社会生活の中でこれを聖別し、聖化して、神のみ心に叶う霊的なささげものとしてこれをミサに持ち寄るのである。こうした信徒の活動は「信徒使徒職」と呼ばれ、世の人びとと世の仕組みとを究極の目的である神に秩序づけるのである。このような実際的な信徒使徒職に結び付かないキリスト教教育は無意味である。
個人主義と経済第一主義にまみれた現代世界を神に秩序づけ、世界を神の国に変えていくのは極めて困難な事業であり、それゆえに信徒の責任は重大であって、そのためにも、第2バチカン公会議が行った信徒の地位と使命を見直しは、ひとえにキリスト教的教育の如何にかかっていると言わなければならない。