聖母被昇天の祭日に思う
カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/08/15/ 00:00]
8月15日はいろいろな記念が重なっている。わたしにとっては聖母被昇天祭、終戦記念日、そしてザビエルの鹿児島上陸。周辺にはお盆もある。それらの中で、子供のころから親しんできたのは聖母被昇天祭である。
カトリックの家庭に生まれ、幼児洗礼を授けられたわたしは、気がついたころには家庭での朝夕の祈り、朝昼晩のお告げの祈り、食前食後の祈りがあった。日曜日には、母に連れられてミサに通い、小学校に入ると、学校帰りには教会に行って「けいこ」(要理クラス)にあずかり、小学6年生までにカトリックの教え全体を『カトリック要理書』を通して学び、聖体や堅信の秘跡を受けた。こうして、入信の三秘跡を受け終わり、小学校卒業とともに一人前のカトリック信者としての人生がスタートした。
思えばなんと恵まれた人生だろう。もしもカトリックの家庭に生まれなかったら、いまだに人生の目的も希望も知らずに右往左往しているかも知れない。だから、感謝の一語に尽きるが、子供のころからカトリック信仰と教会はわたしの人生の真ん中にあり、生活のすべてがキリスト教信仰を中心に回転してきた。
そうしたカトリック人生の中で、聖母マリアが魂も体も天にあげられた神秘を祝う聖母被昇天祭は、ひとしお思い出深くわたしの人生を彩ってきた。子供のころ、夏休みの真ん中あたりにやってくるこの祝祭は、かから団子の祝日とも呼んでいた。かから団子とは、かからの葉で包んだアンコ入りの米粉のまんじゅうで、聖母被昇天の前には、母に言われてかからの葉っぱを採りに行ったものだ。
後で知るのだが、長崎の浦上あたりでは「ふくれまんじゅうの祝い日」と呼ばれていたようだ。永井隆博士の歌に、「もろたとバイふとかとば、ふくれまんじゅうのふとかとば」があるのを聞いたことがあるが、カトリック信者にとって、聖母被昇天祭は、内的にばかりではなく、貧しいながらも食事や着物にまでも喜びをもたらす祝祭であった。
大きくなるにつれて、聖母被昇天祭で記念するキリスト教の神秘に広さ、深さを一層よく知るようになる。特に、尊者ピオ12世教皇によって1950年11月1日に行われた「聖母被昇天の教義宣言」によって、聖母被昇天の神秘が余すところなく解き明かされた。たとえば、この教義宣言において公布された使徒憲章”Munificentissimus Deus”(恵みあふれる神)の中から、次の一文を想起したい。
「永遠から、同じ一つの予定の決定によってイエス・キリストに神秘的に結ばれ、汚れない者として懐胎され、全き処女のまま神の母となり、罪とその結果に完全に打ち勝った、聖なる贖い主の気高い協力者、神の偉大な母マリアは、最後にその種々の特権の最高の完了として墓の腐敗を免れ、わが子と同様に死に打ち勝って、体も魂も、天上の栄光に上げられるという恵みを受けた。そこでマリアは、永遠で不死の王であるわが子の右にいて、女王として輝くのである」
このように、人間となった神の子キリストの人類贖いのみ業の神秘に不可欠の使命をもつ者として結ばれたマリアは、原罪の汚れを免れ、恩寵に満たされ、聖霊によって処女のまま神の母となり、十字架上の御子の犠牲に完全に自己を一致させた故に、死の腐敗に服することなく、霊肉ともの天に上げられたのである。この偉大な救いの神秘全体を、わたしたちは聖母被昇天祭において記念し、祝う。つまり、聖母被昇天祭は「キリストの神秘」の中で祝うべきなのである。
そういう意味において、8月15日は、終戦記念も大事、ザビエルによるキリスト教の伝来も大事であるが、やはり、まずもって聖母被昇天祭において記念し、祝われる神の神秘、神の御業こそ一番大事ではないかと思う。この神秘への信仰と希望があればこそ、ザビエル渡来も終戦も、そしてすべての人間的な出来事の真の意味と目的とを正しく認識し、記念することができるだろう。