カトリック・アクションから信徒使徒職へ
カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/09/15/ 00:00]
第2バチカン公会議を境にして、カトリック・アクションから信徒使徒職への転換が行われた。と言っても、ちんぷんかんぷんの方も多かろう。カトリック・アクションという言葉ばかりか、信徒使徒職の語そのものまでが今や死語になりつつあるからである。
周知の通り、18世紀末のフランス革命によって政教、つまり政治と教会の分離が行われ、物資的な地上の国と霊的な神の国との秩序の違いとそれらを司る政治と教会の役割の分担と相互の補完的な関係が次第に明らかになっていく。しかし、秩序の上で教会から分離された政治の世界は、さらに神の支配からも離れて世俗化(神離れ)していく。
言うまでもなく、地上の国もその政治も、常に神の支配下になければならない。教会から分離した地上の国における神の支配は、教会ないし聖職者の指導によってではなく、特に良心の声を通して行われるはずであるが、神離れが進むにつれて良心までも神から切り離されていくのは当然の結果であろう。西欧において、18世紀以来の近代合理主義による知識層の教会離れと産業革命による労働者の教会離れが一挙に進んだことは歴史が証明する通りでる。
こうして神離れした世俗社会の人間化、福音化は、もはや聖職者の手の届くところではなくなり、否応なしに世俗にある信徒の役割であるとの認識が生まれたのは当然であろう。こうした流れの中で教皇ピオ11世は「カトリック・アクション」を提唱し奨励された。カトリック・アクションとは、「位階制度(司教)の使徒職への信徒の参与」(Participatio Laicorum Apostolatu Hierarchiae)と定義された。そのため、信徒の活動団体が司教の「委任」(Mandatum)を受けてその指導下におかれる時、正式にカトリック・アクションと呼ばれた。
しかし一方、「信徒神学」が起こり、発展するに伴い、カトリック・アクションの定義に疑義が生まれる。定義の中の「参与」という語はラテン語の“participatio”であり、トーマス哲学による厳密な意味にとれば、司教の「委任」によって信徒は司教からその使徒職の一部を受ける,こと(分与)になる。第2バチカン公会議でも重要な役割を果たした神学者イーヴ・コンガール神父は、その著「信徒神学序論」において、ここにいうparticipatioは協力の意味にとるべきであると主張した。したがって、カトリック・アクションにおける司教の委任とは、信徒が司教の使徒職の一部にあずかることでもなければ、信徒使徒職を司教から授けられることでもない。信徒の使徒職は主キリストご自身から授けられる信徒固有の使徒職でなければならない。
第2バチカン公会議はこの主張を取り入れ、信徒は洗礼と堅信の秘跡によって世の聖化、つまり社会の福音化のために派遣された使徒であり、したがって、司教の委任によってではなく、すべての信徒が主キリストご自身から任命され派遣された使徒であることが宣言された。公会議は次のように述べる。
「信徒は使徒職を行う権利と義務を、かしらであるキリストとの一致から得ている。信徒は洗礼によってキリストの神秘体の肢体となり、堅信によって聖霊の力に強められ、主ご自身から使徒職に任じられている。信徒が王的祭司職および聖なる民として聖別されているのは、すべての行動を霊的ないけにえとしてささげ、地上いずこにおいてもキリストのあかしとなるためである。諸秘跡、なかでも至聖なる聖体の秘跡によって、全使徒職の魂とも言うべき愛が授けられ養われる」(信徒使徒職に関する教令3)。
第2バチカン公会議はこうして信徒使徒職の本来の意味と使命とを明らかにしたのであるが、カトリック・アクションという名は残し、ただその定義の中身を新たにしたのである。しかし、信徒使徒職の範囲をカトリック・アクションから広げ、全信徒がそれぞれの能力とカリスマに従って使徒職に献身するよう促したのである。しかし、その後、カトリック・アクションの語は次第に聞かれなくなり、すでにあった信徒使徒職団体も少子高齢化の波をかぶって次第に消えてなくなった感がある。
しかし、周知の通り、信徒使徒職の役割と必要性はなくなるどころか、常に増大している。第2バチカン公会議開幕50周年と、これを記念する「信仰年」を有意義に生かすため、信徒使徒職の意識化と組織化とは、緊急課題としてその実現が求められている。