王であるキリストの愛の支配

糸永真一司教のカトリック時評 > 折々の想い > 王であるキリストの愛の支配

王であるキリストの愛の支配

カテゴリー 折々の想い 公開 [2012/11/15/ 00:00]

輝く愛のあかし

輝く愛のあかし

カトリック教会は毎年、12月から翌年の11月までを「典礼暦年」として「キリストの神秘」(キリストの出来事の隠された現実)を順次記念する。その締めくくりが「王であるキリスト」の祭日である。そこで、キリストはどんな王なのか、考えてみよう。

ナザレのイエスは「人となった神の子」であり、十字架上の死と栄光の復活をもって人類を罪からあがない、世界を悪の支配から解放して神の国を打ち立て、その完成の日まで自ら世界を支配する王として君臨する。「王」であるキリストの別名は「主」(ラDominus、仏Seigneur、英Lord)である。『カトリック教会のカテキズム』は述べる。

「『死者と生者の主となるために、キリストは死んで復活された』(ローマ14,9)。キリストの昇天は、その人間性において神ご自身の権能と権威にあずかることを意味する。イエス・キリストは主である。すなわち、彼は天と地における一切の支配権を持っている。彼は『一切の支配、権威、力、主権の上にある』。なぜなら、『御父はすべてを彼の足元に置かれたからである』(エフェゾ1,20-22)。キリストは宇宙と歴史の主である。彼において、人間の歴史と、そしてすべての被造物が、その『再建』(エフェゾ1,10)と超越的な完成を見るのである」(668)。

ただし、キリストの支配は「愛の支配」であって、世間の王たちや権力者たちとは本質的に異なる。かつてイエスは言われた。「人の子(訳注・イエス・キリスト)が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、多くの人の贖いとして、自分の命を与えるためである」(マタイ20,28)。したがって、人類に仕える王としてのキリストの支配の本質は「愛」である。しかもその愛は、自分を無にし、その命を人類のために投げうつ純粋の愛である。そのうえ、キリストの愛は罪の中にある人類、いわば神の敵となった人類を「丸ごと愛する」愛である。人類の救いのために命を与えるキリストの愛こそ、まさに人類を創造し、これを自分の子らとして呼び集める父なる神の愛そのものである。主は言われた。「神はその独り子を与えるほど、この世を愛された。それは、御子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3,16)。

このように、キリストによる人類救済はまさに愛の革命であって、原罪によって破られた愛の秩序が、キリストによって見事に回復され、キリストを中心とする新たな愛の秩序、すなわち「神の国」が再建されたのである。このことは、天地創造の初めからの隠されていた神の計画の神秘であって、それがキリストの救済事業の完成によって露わにされたのである。聖パウロは言う。「その神秘とは、天にあるもの、地にあるもの、すべてのものを、キリストを頭として一つに結び合わせるということです」(エフェゾ1,10)。

さて、王であるキリストの愛の支配は、いま、その教会を通して継続されている。第2バチカン公会議は、「旅する教会は、その本性上、宣教することを使命とする」(教会の宣教活動に関する教令2)と教えたが、地上の教会の本質的使命である宣教とは、すなわち、王であるキリストの愛の支配をこの世に打ち建てることに他ならない。宣教の本質は、キリストの愛による愛のための活動である。したがって、教会は見えないキリストの愛の見えるしるしかつ道具、すなわち「キリストの秘跡」(教会憲章1)と言われる。したがって、キリストの愛を知り、その愛にあずかる者だけが真の意味で宣教に参加することができる。聖グレゴリオ一世教皇の、「他者を愛さない人は、宣教の務めには決して就いてはならない」と言った言葉が思い出される。これは、主が弟子たちを二人づつ宣教に遣わされた故事(ルカ10,1~)に倣い、「二人がいなければ愛が成り立たない」ことを指しており、愛を生きている者だけが宣教するに値する者であるということであろう。

「宣教のために何をすればよいのですか」という質問を受けることがよくある。以上のことから、この質問への答えは明らかであろう。「宣教するとは、キリストの愛を生きて、キリストの愛を広めること」であり、さらに、「キリストの愛を広めてキリストの王国を建設すること」であると言える。それは単なる夢ではない。世界11億の信徒が揃って立ち上がれば、その夢は叶うはずである。



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