要理教育と要理書の編纂

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要理教育と要理書の編纂

カテゴリー 折々の想い 公開 [2013/03/01/ 00:00]

カトリック教会の教え

カトリック教会の教え

要理教育(カテケージス)は教会の「主な任務の一つ」(ヨハネ・パウロ2世の使徒的勧告『要理教育』1)であり、教会の「神聖な義務」(同上14)であると同時に、要理教育を受けることは「すべての受洗者の権利である」(同上)。

なぜなら、それは主ご自身からの命令であるからである。主はご昇天の前、使徒たちに命じて言われた。「あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。――父と子と聖霊のみ名によって洗礼を彼らに授け、わたしがあなたたちに命じたことを、すべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいる」(マタイ28,19-20)。

使徒たちは、聖霊の賜物を受けた後、主の命令に従って「教えること」に専念した。使徒行録は初代教会のあり様について、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒行録2,42)と描写している。福音書そのものが、「記録される前は、キリスト教共同体に対する口頭の教えの集成なので、それらは、ある程度一種の要理教育的構造を示しています」(要理教育11)。

このように、教える教会の使命は継続され、「3,4世紀には、すぐれた司教および司牧者たちは、口頭で教えること、あるいは要理教育書を編集することを司教職のより重要な務めの一つと考えました」(要理教育12)。『カトリック教会のカテキズム』は述べる。「教会の刷新の時期はまた、カテケージスの全盛期でもある。教父時代の盛期には、聖なる司教たちが聖務のかなりの時間をこれに割いているのが見られる。たとえば、セルサレムの聖チリロ、聖ヨハネ・クリゾストモ、聖アンプロジオ、聖アウグスチノやその他の多くの教父たちで、これらの人々の「要理書」は依然として模範的なものである」(8番)。

日本最初の宣教師聖フランシスコ・ザビエルは鹿児島上陸後、日ならずして「鹿児島のカテキズモ」(要理書)の編纂に取り組み、その後継者の巡察師ヴァリニャーノは有名な「日本のカテキズモ」や「どちりなきりしたん」(キリストの教え)などを発明間もない印刷機で出版している。この伝統は日本の教会に今も引き継がれている。

世界各地で編纂発行された「要理書」(カテキズム)のほかに、全教会のために編纂されたカテキズムにも注目しておかなければならない。その一つは、16世紀のいわゆる宗教改革の後、カトリック教会が自己改革のために開催したトリエント公会議を受けて出版された「ローマ・カテキズム」(Catechismus Romanus)で、「これは司祭用の伝統的な教理および神学の要約として第一級の著作である」(要理教育13)。ローマ・カテキズムはその後の各地の要理書のいわば規範版となったものである。

もう一つの普遍的要理書は言うまでもなく先の第2バチカン公会議後に編まれた『カトリック教会のカテキズム』であって、「本書の目的は、信仰と道徳に関するカトリック教理の本質的、基本的内容を、第2バチカン公会議と教会伝承の全体に照らして、有機的、体系的に説明することにある。その主要な源泉は聖書、教父、典礼、教会教導権の教えである。このカテキズムは、『それぞれの国で作成されるカテキズムもしくは要約書の基準のようなもの』として役立つことを目指している」(カトリック教会のカテキズム11)。

また、「本書は主としてカテケージスの責任者、すなわち、まず教会の信仰の教導者、司牧者としての司教にあてられておおり、神の民を教える責務を果たすための道具として提供されたものである。司教を通して、要理書編纂者、司祭、要理教師にもあてられている。さらに、すべての信徒にも有益な書物となるであろう」(同上12)。

周知の通り、この趣旨に従って、わが国では2003年、日本人執筆者4人によって『カトリック教会の教え』「写真」がわが国固有の要理書として出版された。