第一戒:三位一体の神を信じる
カテゴリー 折々の想い 公開 [2013/07/01/ 00:00]
神の十戒の第一は、「わたしはあなたの主なる神である。わたしのほかに神があってはならない」である。これは、人間が造った神々、すなわち「偶像」(アイドル)ではなく、神ご自身がみずからを現わされた「真の神」、すなわち、父と子と聖霊の三位一体の神を信じ、礼拝しなければならないということを意味する。
『カトリック教会のカテキズム』は、神の第一戒に入る前に、信仰の本質が愛であること、そして神に対する人間の愛は先に人間を愛した神の愛への応答であることを強調して次のように述べる。
「イエスは、神に対する人間の義務を次の言葉に要約された。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』(マタイ22,27)。この言葉は、『イスラエルよ、聞け。わたしたちの神、主こそ、唯一の主である』(申命記6,4) という荘厳な招きに直接こたえるものでる。
神は、先に人間を愛された。唯一の神の愛は“十の言葉”の最初に想起される。次いで、神の掟は、人間が神にささげるよう呼ばれている愛の応答であることを明らかにする」(2083)。
そのうえで、カテキズムは、第一戒について、こう説明する。
「神は、『わたしはあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した』と述べ、その民の歴史において行なった全く力強く恵み深い解放の業を想起しつつご自分を啓示した。この最初の言葉の中に第一の掟、すなわち『あなたの神である主を礼拝し、主に仕えよ。…他の神々に従ってはならない』(申命記6,13-14)が含まれている。神の最初の呼びかけと正当な要求は、人間が神を受け入れてこれを礼拝することである」(2084)。
ここに言う「神を受け入れて礼拝する」とは、神を神として信じ認めることを意味する。そして、旧約の民をエジプトの奴隷から解放した神は、新約時代において「三位一体の神である」と啓示された。人類を愛してその救いのために独り子を世に派遣された全能の父なる神、父のみ旨に従い、十字架上に命をささげて救いの業を成し遂げられた子なる神、そして、神の子となる霊を人間に与えてくださる聖霊なる神、この三位の神は一体であることが啓示されたのである。したがって、神の第一戒が命じるのは、この三位一体の神、しかもこの神のみを信じて受け入れよということである、そして、神を神として信じ認めることはすなわち神を礼拝することを意味する。
ところで、教会の信者共同体はその信仰を「信仰宣言」の形で表明してきた。それは「クレド」(Credo)、または「信条」(Symbolum Fidei)と呼ばれてきた。信条には、使徒たちの信仰の要約とされる”使徒信条”と、ニケア公会議とコンスタンチノーブル公会議に由来する“ニケア・コンスタンチノーブル信条”の二つがあるが、ここには、カトリック洗礼式において使用される“使徒信条”の全文を掲載する。そこには先に人間を愛した神とその恵みが要約されている。
『使徒信条』
「天地の創造主、全能の父である神を信じます。
神の独り子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によって人となり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、死者のもとに下り、三日目に復活し、天に上って、全能の父である神の右の座に着き、生者と死者を裁くために来られます。
聖霊を信じ、
聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン」
以上のとおりであるが、キリスト者は主日・祝日のミサおいて信仰宣言を唱えているが、このような信仰の宣言は、同時に神への礼拝を意味するものでもある。
なお、第一戒が命じるこの信仰と礼拝は、唯一絶対の超越的位格神である三位一体の神のみに対するものであるから、一切の不合理な信仰である「迷信」やキリスト教の言う神ではない単なる被造物を神とする「偶像崇拝」は禁じられる。
なお、カトリック教会において行われる聖母マリアや諸聖人に対する「崇敬」は「礼拝」ではないので誤解がないように気を付けなければならない。