第七戒(2)人格とその財貨の尊重

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第七戒(2)人格とその財貨の尊重

カテゴリー 折々の想い 公開 [2014/04/01/ 00:00]

お札 前回見たように、世界とその資源は人類全体に対する神からの贈りものであるから、人間らしい尊厳と自由を持って生きるために、人間は自然の恵みを公平に分け合う権利と義務がある。そのための原則を教会は次のように教える。

人格の尊重

「経済的な事がらにおいて、人格(ペルソナ)の尊厳を守るためには、この世の財貨に対する執着心を抑制する節制の徳を必要とし、隣人の諸権利を守り隣人に帰すべきものを帰す正義の徳が必要であり、黄金律に従いキリストの気前の良さに倣う連帯の徳が必要である。“主は豊かであられましたが、あなた方のために貧しくなられた”(2コリント8,9)」(カテキズム2407)。

隣人の財貨の尊重

「第七戒は盗み、すなわち、所有者の道理にかなった意志に反してその財貨を横領することを禁じる。もしも、所有者の同意が推測されるか、それを拒むことが道理に反し、あるいは財貨の普遍的使用目的に反する場合は、盗みにはならない。それは、他人の財貨を手に入れてこれを使用する以外に、いのちに直結する基本的な必要(衣・食・住)を満たす手段がないという、緊急で明白な場合のことである」(カテキズム2408)。

「他人の財貨を不正に取りあげ、また所有することはすべて、たとえ民法の規定に反するものではない場合でも、第七戒違反である。たとえば、借りた財貨や遺失物の故意の取得、商取引における詐欺行為、不当な給料の支払い、相手の無知や窮乏に付け込んで値を吊り上げること、などである」(カテキズム2409)。

「次のような場合も不正である。物件の評価を勝手に変え、相手に損害を与えて儲けようとする詐欺行為、法に従って決定すべき責任を負う者の判断を変えさせる贈賄、企業の社会的な財貨の横領や使い込み、手抜き工事、脱税、小切手や計算書の偽造、過剰な消費や浪費。私有財産や公共財に故意に損害を与えることは道徳律に反するものであり、賠償が必要である」(同上)。

「約束は守らなければならない。そして、契約は、成された誓約が道徳的に正当である限り、厳密に守らなければならない。経済的かつ社会的生活の大半は個人の間や法人の間の契約の尊重にかかっている。たとえば、売買の取引契約、賃貸あるいは労働契約。すべての契約は誠意をもって結ばれ、守られなければならない」(カテキズム2410)。

「諸契約は、交換的正義に基づく。交換的正義とは当事者の権利を具体的に尊重して行われる人格間の交換法則である。交換的正義は厳格に守られなければならない。それは、所有権利の保護、借財の返済、自由に結んだ義務の履行を求める。交換的正義なしには、他のいかなる形態の正義も成り立たない。交換的正義は、国民の国家に対して果たすべきそれぞれの義務に関する法的正義や、国民の貢献や必要に応じて果たすべき配分的正義とは区別される」(カテキズム2411)

「犯した不正を賠償するには、交換的正義に基づいて、盗んだ財貨を所有者に返却しなければならない」(カテキズム2412)。

「第七戒は、利己主義やイデオロギー、金もうけ主義や全体主義など、どのような理由であれ、人間を奴隷化し、人格の尊厳を無視し、人間を商品のように売り、買い、交換する行為や企業を禁じる。暴力によって人間を金もうけの商品ないし手段とすることは、人格の尊厳とその基本的権利に反する罪悪である。聖パウロは、キリスト者の主人に、キリスト者になった奴隷を『もはや奴隷としてではなく、兄弟として、主に結ばれた人間として』(フィレモンへの手紙16)扱うよう命じている」(カテキズム2414)。