第七戒(4)経済活動と社会正義

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第七戒(4)経済活動と社会正義

カテゴリー 折々の想い 公開 [2014/05/01/ 00:00]

労働者聖ヨゼフ

労働者聖ヨゼフ

人間はこの世に生きている以上、働いて生計を立てなければならない。もちろん、みんなが同じように働けるわけではないし、みんなが最善を尽くしながら助け合って生きなければならない。そのためのルールはどうあるべきか。

「経済活動の発展と生産向上の目的は人間存在の需要にこたえることである。経済生 活は単に生産財を増加し、利潤や勢力を伸ばすことではない。それは何よりも人間の一人ひとりとその全体に、そしてすべての人間共同体に奉仕するためであ る。固有の仕方で営まれながら、経済活動は、人間に関する神のご計画に答えるために、社会正義に従って、倫理的秩序の限界内で営まれなければならない(現 代世界憲章64参照)」(カトリック教会のカテキズム)2426)。

 「人間労働は、神の似姿に造られ、他者のために、また他者とともに、地を治めながら天地創造のわざを継続するよう呼ばれた、人格から直接生み出されるものである(創世記1,28)。したがって労働は義務である。『働きたくないものは食べてはならない』(2テサロニケ3,10)と言われてい る。労働は創造主の賜物といただいた才能を尊重することである。それは同時に世の贖いとなる。人は、ナザレの労働者であり、カルバリオで十字架につけられ たイエスと一致して労働のつらさを耐え忍ぶなら、贖いの業において一定の形で神の子に協働する。人は日々、果たすべく呼ばれた活動において、十字架を担い でキリストの弟子でることを表す。労働は聖化の手段となり、キリストの霊をもってこの世の現実を生かすものとなる」(カテキズム2427)。

 「労働において、人間はその本性に刻み込まれた能力の一部を働かせ完成する。労働の一義的な価値は労働の主体であり目的である人間自体にある。労働は人間のためであって、人間が労働のためにあるのではない。

各々の人間は労働の中に自分と扶養家族の生計を立て、また、人間共同体に奉仕するのでなければならない」(カテキズム2428)。

 「各々の人間は経済的発議権(イニシアチーブ)を有し、みんなが豊かになるために貢献できるよう自分の才能を正当に使用し、そして自分の努力の正当な報酬を受ける権利を有する。ただし、共通善のために正当な権威が定めた規則には従わなければならない」(カテキズム2429)。

 「経済生活には互いにしばしば相反する種々の利害関係が起きる。それを特徴づけるものとして争議がある。このような争議は、労使双方、た とえば、企業の責任者、労働者、たとえば労働組合の代表者、場合によっては公権の代表も参加して、互いの権利と義務を尊重して解決するよう努めなければな らない」(カテキズム2430)。

 「国家の責任。“経済活動、ことに市場経済の活動は、制度的、法的、政治的空白の中で営まれることはできません。それどころか、市場経済 は、個人の自由と私的所有の保障、そして安定した通貨と効果的な公共サービスを前提とします。こうして、労働と生産に携わる人々が自己の労働の成果を享受 し、それによって有能かつ誠実に働こうと思えるように、このような諸条件の安定を保証することが国家の第一の任務となります。…国家のもう一つの任務は、 経済部門における人権の行使を監視し、指導することです。しかしながら、この分野における第一の責任は、国家ではなく、社会を構成する個人、集団、団体に あります”(回勅『新しい課題』48)」(カテキズム2431)。

 「企業の責任者は 社会に対して、自分の活動についての経済的かつ環境的な責任を負っている。彼らは単に利潤だけではなく、人々の善益を考慮しなければならない。利潤はもちろん必要である。それは企業の将来を保証する投資を可能にし、雇用を保証する」(カテキズム2432)。

 「就労と就職の機会は、すべての人、すなわち男にも女にも、健常者にも身障者にも、専従者にも移住者にも、不当な差別なく開かれていなければならない。状況に応じて、社会の側も市民が仕事と雇用を得られるよう支援しなければならない」(カテキズム2433)。

 「適正な賃金は労働の当然の結果である。支払の拒絶や延期は重大な不正である。相応の報酬を評価するためには、各人の必要と貢献度を同時に 考慮しなければならない。“労働の報酬は各自の任務と生産性、企業の状況と共通善を考慮したうえで、本人とその家族に物質的・社会的・文化的・精神的生活 をふさわしく営むことのできる手段を保障するものでなければならない”(現代世界憲章67)。労使間の合意だけでは賃金高を倫理的に正当化するには不十分である」(カテキズム2434)。

 「ストライキ(労働争議)は、労働に見合った報酬の観点から、それがやむを得ないか、むしろ必要であることが明らかな場合には、倫理的に正 当である。ストライキが暴力を伴う場合、あるいは目的が労働条件と無関係であるか、共通善に反する場合には、それは倫理的に受け入れられない」(カテキズ ム2435)。

 「合法的権威によって定められた負担金を社会保障期間に納入しないことは不正である。

失業によって職を失うことは、ほとんどの場合、その犠牲となる人にとって、その尊厳を傷つけ、また安定した生活を脅かすものとなる。本人な受ける損害ばかりでなく、その家族にも多くの危険をもたらすことになる」(カテキズム2436)。