「奉献生活の年」について

糸永真一司教のカトリック時評 > 折々の想い > 「奉献生活の年」について

「奉献生活の年」について

カテゴリー 折々の想い 公開 [2015/01/15/ 00:00]

教皇フランシスコは、さきに、2014年11月30日から2016年2月2日までを「奉献生活の年」にすると発表した。この時点ではすでに始まっているのだが、あらためて奉献生活の重要性とその使命について考えることは、わたしたちの務めである。

ここでいう「奉献生活」とは、ラテン語では“Vita Consecrata”で、Vita(ヴィータ)は「いのち」または「生活」、Consecrata(コンセクラータ)は「聖別・奉献された」という意味である。したがって、「奉献生活」とは、世俗的使用から取り分けて神の使用のみに捧げられた人の身分又は生活形態であって、福音的勧告の貞潔、清貧、従順を、誓願をもって「義務」として生きる人々のことである。ちなみに、貞潔、清貧、従順の福音的勧告はすべてのキリスト者にも、信徒や聖職者それぞれの身分に応じて、文字通り「勧告」として守るよう求められているもので、キリスト者のしるしであり証となる。

「奉献生活の年」は、一昨年以来記念している第2バチカン公会議(1962-65)が1965年10月28日、に公布した「修道生活の刷新・適応に関する教令」(Decretum de accommodata renovatione Vitae Religiosae)から50年を記念するものである。ただ、当時「修道生活」と呼ばれたものが「奉献生活」に変えられているのは、今日、修道生活以外にも奉献生活を生きるさまざまな形式があることを考慮した表現の変化である。

この公会議教令は、「福音的勧告に従って完全な愛徳を追求することは、神なる師の教えと模範にその起源を持ち、天の王国の輝かしいしるしである」(同教令1)と述べ、「会員たちが貞潔、清貧、従順を約束している会の生活と規律とについて取り扱い、現代の要請に応じて、彼らに必要な事がらを規定しようと思う」(同上)とのべ、さらに「現代の情勢における教会が、福音的勧告の誓約によって聖別された生活の価値と必然的役割から、より大きな益を受けるように」(同上)と、奉献生活の刷新と適応の意図を明らかにしている。

公会議教令はさらに、「修道生活の究極の規範」は、aキリストに従うこと、b創立者の精神、目的、伝統の忠実な保持、c教会の生命への参与、d時代の状況と教会の必要についての認識、e精神的刷新を最優先すべきこと、と指摘している。公会議のあと、各修道会や他の奉献生活の会は公会議の指針に基づいてその刷新と適応を図ったことは言うまでもない。そうした努力の中で注目すべきは、1994年10月に「教会と世界における奉献生活とその使命」というテーマで開かれた第9回シノドス(世界代表司教会議)と、その総括として出された聖ヨハネ・パウロ2世教皇の使徒的勧告『奉献生活』である。

この小論で、こうした一連の奉献生活刷新の努力の詳細な内容に触れることはもちろんできないので、上記使徒的勧告から、一部を紹介するにとどめたい。まず、使徒的勧告の冒頭の言葉はとくに重要である。いわく、

「主キリストの模範と教えに深く根ざした奉献生活は、聖霊を通して教会に与えられた父なる神の賜物です。イエスを特徴づけるしるし、――貞潔、清貧、そして従順――は、福音的勧告の誓願によって、模範的かつ恒久的仕方をもって人々の間に「見えるもの」となり、これを目にする信者たちは、すでにこの世において働きつつあり、その完全な姿は天において現れることが待たれる神の国の秘義に触れるよう招かれるのです。幾世紀にもわたって、御父の召し出しと聖霊の促しに忠実な男女たちが常におり、“分かたれない”(1コリント7,34参照)心をもって自らを主に捧げるため、キリストに従う者の特別な道を選びました。彼らも、使徒たちのように、キリストと共に留まるため、またキリストのように、神と兄弟たちに仕えるために、すべてを捨てました。このようにして、彼らは聖霊によって彼らに与えられた霊的かつ使徒的数々のカリスマによって教会の秘義と使命を表すために貢献し、また、そうすることによって社会の刷新のためにも貢献してきました」(使徒的勧告1)。

教会の歴史を見ても分かる通り、奉献生活の模範と貢献は教会にとっても、はたまた人類社会にとっても、なくてはならない重要な存在であった。世俗化が進み、人心が人生の理想である神から離れて精神的な危機に立つ今、奉献生活の重要性は増すばかりである。性の倫理が乱れに乱れ、金銭の所有欲が渦巻く強欲資本主義社会、そして自己中心の個人主義の時代に、徹底してキリストの貞潔、清貧、従順の模範に倣い、目指すべき見えない神の国の見えるしるしである奉献生活は、同じキリストの後に従うキリスト者ばかりでなく、人類自体にも欠かすことのできない証しである。

したがって、「奉献生活の年」は奉献者たちばかりでなく、すべてのキリスト者がキリストの模範と奉献生活の証しを見直し、その刷新と再興に力を尽くすべき年であることは言うまでもない。