政教分離の原則について

政教分離の原則について

カテゴリー カトリック時評 公開 [2007/03/15/ 00:00]

――政教分離の原則は、政治と宗教との本質的な分野の違いによるものである――

政教分離の問題はいろいろな意味で多くの人を悩ませてきたが、そのポイントは二つある。すなわち、わが国においては国家神道という国教化されていた神社神道を国家から分離する問題であり、多くの近代法治国家においては互いに自主独立であるがゆえに政治と教会を分離する問題である。政教分離を正しく理解するためこの二つを簡単に見てみたい。なお、主に参照したのは、三土修平著『靖国問題の原点』とカトリック教会の『現代世界憲章』である。

1-わが国における政教分離の経緯

日本が受諾したボツタム宣言とこれを実行したGHQは、日本の軍国主義体制を解体して平和的な民主主義体制を作るため、思想的バックとなった国家神道を国家と神道に分離しようとした。これは1945年12月15日に発令された「神道指令」によって実行に移されたが、そのとき靖国神社はこの道を選ばず、その存続を図るため、翌1946年2月2日の改正宗教法人令によって自ら宗教法人となることを選択し、1951年4月3日の宗教法人法の成立によってこれが確定した。こうして靖国神社は、分離されないままの国家神道を宗教法人法による信教の自由という大義名分の元に温存することになった。このとき、戦没者の慰霊施設という公共性も宗教法人の中に封じ込めたから、建前として靖国神社は国家から分離された。

この靖国問題に対してわたしたちはどう対応すべきだろうか。答えは簡単だと思う。なぜなら、靖国問題は宗教法人化によって国家から分離され、わたしたちの「信教の自由」に何も強制することはなくなったからである。靖国神社が何を信じ、何を主張しようとも、すなわち国家神道も遊就館も、それは一宗教法人の宗旨であり主張でしかないのである。

2-政教分離原則の本質

1) 多元社会においては、政教分離は国民の基本的人権を守る上でどうしても必要であるが、そのための根拠として、現代世界憲章は政治と教会(宗教)の使命の本質的な違いを指摘した上でこう述べる。「政治共同体と教会はそれぞれの分野において互いに自主独立である」(現代世界憲章76)。だから、政治は教会に介入しないし、教会も政治に介入しない。たとえば、憲法を決めるのは国民であって、教会ではない。従って、この原則を守っている限り、教会はいかなる場合にもその政治責任を問われることはない。ただ、次のような配慮は重要である。「キリスト信者個人または団体が、キリスト教的良心に基づいて一市民として行うことと、牧者と共に教会を代表して行うこととを明確に区別することは重要である」(現代世界憲章76)。

ただし、両者の使命には互いにオーバーラップする部分がある。すなわち、地上の秩序に関する限り教会は国法に従い、政治倫理に関する限り政治は教会の規制を受ける。政治介入と政治倫理批判とは同じことではない。

2) 次に、現代世界憲章は政治と教会の相互協力に関して次のように述べる。「しかし両者は、名目こそ違え、同じ人々の個人的、社会的召命に奉仕する。両者が時と所の状況を考慮して互いに健全に協力しあうならば、この奉仕をすべての人の益のために、よりよく実行することができる。」(現代世界憲章76)。

この教えは重要である。人間は霊肉併せ持つ一つの統一体であって、国民は物心両面の支援を必要とする。だから、政治共同体の支援と共に、教会(宗教)の精神的支援が必要である。ただ、わたしたちは政治と宗教の無定見な癒着を警戒しなければならない。世の救いのために宗教の力に頼らず、法律の制定や改正に頼ろうとする宗教者の傾向がわが国では強いからである。こうした反省に立って、互いの使命のよりよい達成のために、協力することを拒んではなるまい。