政治家の資質と使命

政治家の資質と使命

カテゴリー カトリック時評 公開 [2007/04/01/ 00:00]

――政治は、成熟した大人の「困難で高貴な技術」である――

今年は統一地方選挙や参議院選挙がある。多くの国民が今、わが国の行く末を案じ、選挙結果に関心を寄せている。科学・技術、人口構成、意識や価値観ほか、社会・経済生活が急速に変化する現在、内政・外交共にますます複雑かつ困難な時代を迎えている。だから、昨今のわが国の政治の実態をしっかり見極め、立候補者の巧言や政党の世論操作に騙されないよう気をつけなければならない。そのために、教会の社会教説を覗いてみよう。

1-政治は困難で高貴な技術

第2バチカン公会議は、かの有名な『現代世界憲章』の中に一章を設けて政治の重要性を指摘し、そのあり方について論じている。次はその一節。

「公民教育と政治教育は、国民のすべてが政治共同体の生活において自分の役割を果たすために、国民特に青少年にとって大いに必要であり、熱心に行うべきである。「困難であると同時に最も高貴な政治の技術(art)」(教皇ピオ11世)に適する者、またはその可能性のある者は、そのために準備し、自分の利権や物質的利益を考えずに政界に入るように努力すべきである。不正、圧制、一個人または一政党による専制と不寛容に対して清廉潔白と思慮とをもって戦い、誠実、平等、愛、政治的勇気をもってすべての人の福祉に専念すべきである」(n.75)。

「最も困難で高貴な政治技術」という言葉に留意して欲しい。政治は最も高度な技術(芸術)であって、子どもの遊びでもなければ素人の道楽でもない。難しい国政を甘く見ることなく、国民の政治教育や政治家の養成の重要性を心に留めなければならない。

2-政治の目的は共通善

現代世界憲章はさらに述べる。「市民共同体を形成する各個人、家庭、諸団体は、完全な人間生活を営むためには自分たちだけでは不十分であることを自覚し、絶えず共通善をよりよく実現するためにすべての人が毎日力を合わせるような、さらに大きな共同体の必要を感じる。そのため人々は種々の形態の政治共同体を形成するのである。従って、共通善のために存在する政治共同体は、共通善の中にその完全な意味とその完全な正当性を見出し、またそこから最初のそして本来の権利を得る。共通善は個人、家庭、団体がそれぞれの完成により完全に、より容易に到達できるような社会生活の諸条件の総体である」(n.74)。

政治は一部の集団や階層のためではなく、ましてや党利党略のためでもない。政治は国民一人ひとりの、そして国民全体の共通善のためであって、政治家は本質的に国民全体のための奉仕者(公僕 )である。

3-弱者優先こそ政治の要諦

最後に、政治のもう一つの基本は弱者優先(Option for the poor)にあることを強調しておきたい。「人間はその本性においては平等であるが、その偶有的素質においては個人間に差異がある」(『社会綱領』70)。差異があるから自由競争社会においては当然強い者が勝って弱い者が負ける。だから教会は、旧約聖書時代からの伝統に従い、国民全体が結果的に平等になるための社会正義の要求として、「弱者優先」の政治を求めてきた。この世の富は、私的所有より前に、人類共有の財産だからである(詳しくは、ヨハネ・パウロ2世使徒的書簡『紀元2000年の到来』n.13参照)。

レオ13世は回勅『レールム・ノヴァールム』で述べている。

「個人の権利を保護するに当たっては、特に弱い人、貧しい人に配慮しなければなりません。富裕な階級は、その富に守られているから、公権の保護をそれほど必要としません。しかし、貧しい人民は不正義から身を守る富を持たないから、特に国家の保護を頼みとしているのです」(回勅『新しい課題』10参照)。