富裕層ブームの到来

富裕層ブームの到来

カテゴリー カトリック時評 公開 [2007/09/01/ 00:00]

 ――抑制なき資本主義(規制緩和)が生んだ弱肉強食の野蛮な社会――

「いまどきのお金持ち研究」と題する中央公論8月号の特集記事は、いまどきの日本がどのような道を歩いているかを知る一つの手がかりを与えてくれた。すなわち現在の日本は総中流社会が終わって下流と富裕層との格差が拡大しており、その富裕層に高いモノを売る企業側のいわゆる「富裕層ビジネス」が「富裕層ブーム」を呼んでいるという。その結果、「汗水たらして働くのが尊いという勤労観」が変容して、富裕層も下流も夢中になって金儲けに血眼になっているというわけである。同誌の記事によれば、現代日本の富裕層の二大職業は会社経営者と開業医であり、東京や名古屋など大都市に集中しているという。ちなみに、富裕層とは年収2000万円以上の者で、05年には42万人といわれる。

いまや日本政府までが富裕層ビジネスに乗り出した。去る7月26日、世界最大のコメ消費国である中国の北京と上海で日本産米の販売が始まったが、それは、飢餓に悩む人々を顧みず、中国産米の20倍以上という超高値で、富裕層を対象とするまさに富裕層ビジネスを農林水産大臣が先頭に立って開始したというから驚きである。同27日の朝日新聞によれば、自民党は公約で「おいしく、安全な日本産品の輸出を促進し、2013年までに輸出額一兆円規模を目指す」と明記し、さらに「足腰の強い農業を確立する」ことを目的に、助成対象を一定規模以上の農家や集落営農組織に絞る新制度を打ち出したとある。

これに対し、民主党は基盤の弱い農家を守る姿勢に徹し、市場価格が生産費用を下回った場合には「戸別所得保障制度」を導入することをさきの参院選マニフェストの重点項目に据えた。これは、富裕層育成を目指す自民党政治の逆を行くもので、弱者を優先して格差を是正しようという民主党の姿勢をもっともよく示しており、たとえ選挙向けであってもその方向は正しいと言えよう。先の参院選における自民党大敗の原因究明においてはあまり重視されなかったが、この弱者救済か、富裕層優先かという対立の構図は、今後進行するであろうわが国の二大政党制を象徴するものではないだろうか。賢明な選挙民がこの点を感じ取っていたとすれば評価すべきである。ついでに言えば、長年の一党独裁の弊害に気づいたとすればなお良かった。議会制民主主義の一つの理想は一党独裁を避け、政権交替を可能にするところにある。一党長期独裁こそ腐敗の根源だからである。

さて、日本の将来にとって危険な富裕層ブームを批判するに当たって、特に二つのことを指摘してみたい。一つは、少数者による富の独占は不正であること、もう一つは、政治の要諦は弱者優先であることである。

まず、世界とその富の「究極の支配権」は創造者である神にある(ヨハネ・パウロ2世使徒的書簡『紀元2000年の到来』13参照)。その神が「共有の遺産」として人類にこれを与えたのであるから、人類は神の意思に従って世界を正しく開発し、その成果を公平に分け合って個人と社会の真の実現に利用しなければならない。ただし、人間はその自由を正しく使用しかつ実現するため相当の私有財産を必要とする。しかし、私有財産権も無制限ではない。共有財産の中の私有権であるから、少数者による富の独占は不正であり、余ったお金は貧者と社会に還元しなければならないということである。

他方、人間の本質は自由にあるが、しかし、自由の行使は競争を生み、競争は弱肉強食の格差社会を生む危険があるから、その規制が必要になる。こうして、この世の秩序と全体の共生を図るために、現世の秩序を守る公権が必要となる。ここにいう公権とは、国内的には国家権力であり、国際的には国連機構である。これら公権が全体への配慮を怠り、弱者切捨ての富裕層政治に堕することのないよう警戒しなければならない。

あの敗戦から62年、日本に戦争をさせないために提示された憲法9条を受け入れたわが国は、それをよいことに国防はアメリカに任せ、自らはもっぱら経済の復興と発展に専念して来たが、遂に弱者切捨ての富裕層ブームを招来してしまった。だから、戦後レジームからの脱却を言うなら、まず何よりも経済第一主義(所有のイデオロギー)からの脱却と、政権交代による一党長期独裁の弊害からの脱却こそ先決ではないか。その機は熟しつつあるように思うがどうだろう。国民の選択が見ものである。