靖国神社参拝の是非について
カテゴリー カトリック時評 公開 [2007/10/01/ 00:00]
―自ら「宗教法人」になることによって、靖国神社はどう変わったか―
最近、わたしのホームページに書き込みがあり(「教育基本法改正案をめぐって」の項)、カトリック信者にとって靖国神社の参拝は、その祭神にカトリックの神に並ぶような神威・霊威はなく、戦没者合祀の目的も追悼・慰霊であるから、神の第1戒に反しないのではないか、との疑問が寄せられた。折角の問題提起だから、以下、わたしの見解を述べてみたい。
1-神社非宗教論と国家神道
神社非宗教論とは、神道における祭祀と宗教を分離し、神社神道を一般の宗教から切り離された特権的地位を持つものとする明治以来の議論である(三土修平著『靖国問題の原点』参照。以下、靖国問題の歴史的経過についても同書参照)。たとえば、1882年(明治15年)、神官は葬儀に関与せず、祭祀に専念する宗教官僚とされたが、このようにして、信教の自由とは抵触しないものとして「国家神道」が形成されて行く。しかし、昭和になり、皇民教育の一貫として神社参拝が義務付けられるようになると、カトリック信者にとっては良心上の重大な悩みが生じた。神の十戒が禁じる偶像崇拝を恐れたのである。
2-カトリック教会における神社参拝容認
1932年(昭和7年)、上智大学における神社参拝をきっかけにした配属将校引き揚げ事件の際、東京大司教の質疑に対して文部省は、「国の求める神社参拝は「宗教的」なものではなく、愛国心と忠誠心を表す「愛国的」なものである」と回答した。これに基づき、日本のイエラルキア(教区長たち)は、「国家神道の神社で行われる国家神道的な儀礼に参加すること」を容認し、ローマ聖座も1936年(昭和11年)の布教聖省指針でこれを追認した(カトリック中央協議会福音宣教研究室編『歴史から何を学ぶか』の中の資料参照)。こうした教会の決定は、残酷な精神的拷問とも言える神社参拝の重荷から信者を解放し、その良心の平和を保証するものとなった。
私事ながら、当時、わたしは姉たちが学校の団体神社参拝から逃れようとどんなに苦心していたか、子供心に覚えている。神社参拝の強制は、偶像崇拝を禁じる神のおきてに忠実に従おうとするカトリック信者子弟の良心に重くのしかかっていたのである。わたしは昭和10年の小学校入学であるから、すでに神社参拝が容認されており、良心上の悩みなく神社参拝に参加していたが、それでも神社の祭神を拝む気持ちは毛頭なかった。小学生といえども、カトリック信者は神に従うことを何よりも優先していたのである。
3-靖国神社の宗教法人化による事情の変化
戦後、文部省はは国家と神道の分離(国家神道の解体)を求めるGHQの「神道指令」(1945年(昭和20年)12月15日)に基づき、靖国神社側の同意を得たうえで、同神社を宗教法人とする方針を決定し、翌1946年(昭和21年)2月2日の「改正宗教法人令」に基づいて、同7日、宗教法人として登記を完了した。
この宗教法人化によって、靖国神社は、事実上国家から切り離され、政治も介入できない一宗教として信教の自由を享受する一方、靖国神社自体が信仰の対象となり、英霊として祀られているその祭神は礼拝の対象となるため、単なる戦没者の慰霊の場ではなくなった。その結果、靖国神社参拝はれっきとした宗教行為となり、その是非は、信教の自由に関する各個人の良心の判断に委ねられることとなる。ただし、カトリック信仰の立場からすれば、靖国神社の参拝は、太陽崇拝などと同じように、神ではない被造物を祀り、これを礼拝する偶像崇拝に相当するから、偶像崇拝を禁じる神の第一戒に違反するものと考えられる。従って、神社参拝を容認した戦前の教会の決定は、神社の宗教法人化によって自動的にその効力を失ったと見なければならない。