共産主義の発端と終焉

共産主義の発端と終焉

カテゴリー カトリック時評 公開 [2007/10/15/ 00:00]

北朝鮮のことを心配したり議論したりしていると、話しはどうしても共産主義の問題になってしまう。そこで、共産主義の初めと終わりを概観しておくのも一興であろう。

1)共産主義の始まり

18世紀の終わりから19世紀のはじめにかけて、資本主義によって始まった産業革命は、不当に安い賃金で働かされる貧しい工場労働者を大量に生んだ。これを救うために立ち上がったのがマルクスらで、彼らが運動の狙いを世に示したのが1848年のいわゆる「共産党宣言」である。彼らは、社会的自由の根拠となる私有財産権を否定して財産共有制を主張し、有産階級を徹底排除する「階級闘争」を革命の目標に掲げた。また、その目標を達成するため、共産主義革命に反対する者もことごとくこれを排除し抹殺した。ソ連をはじめ、ポルポト支配下のカンボジアに至るまで、大量の粛清の血が流された。一方、共産主義革命は教会を敵視して激しい攻撃を加えてきた。労働問題は正義の問題として愛(慈善)を説く教会を否定し、神を否定するのである。

歴史上はじめて現れたこの新しい労働問題や社会問題に対して教会が立ち上がったのは、共産党宣言に遅れること約40年、1891年のレオ13世の「不滅の回勅」『レールム・ノヴァールム』においてであった。ベネディクト16世は言われる。「こうした公正な社会構造の問題を解決するには新たな方法が必要なことを教会の指導者が理解するまでにかなりの時間がかかったことを、認めなければなりません(回勅『神は愛』27)。

この立ち遅れは、無神論を助長したのではないかという教会の厳しい自己反省の機会となったが、こうして立ち上がった教会は過去1世紀、教皇の指導のもとに「社会教説」を発展させ、人格の尊厳と自由を否定する共産主義に対抗して、「人格の尊厳と基本的人権を認め、擁護し、愛する」ことを基本とした真の社会改革に取り組んできた。

2-共産主義の破綻

神を認めず、神を畏れない者は倫理観を喪失する。だから、共産主義はその理想実現のため共産党独裁の全体主義国家を形成し、国民の人格の尊厳と自由を著しく侵害し、しばしばこれを否定してきた。その結果、一時は共産主義体制を成功させたかに見えたが、強制的に働かされた国民の気力は次第に衰えて経済の破綻を招き、自由主義国からの情報流入などによって自由や人権に目覚めた民衆は遂に共産政権を否認、ソ連と東欧の共産主義体制は1991年、内部から崩壊し、その終焉を迎えた。

共産主義はアジアに生き残った。しかし、中国やベトナムは一部資本主義を導入し、一党独裁のほかは大幅に修正された。かたくなに共産主義体制を残しているのは北朝鮮だけであるが、これもやがて終焉を迎えることは必至であろう。

3-共産主義に対する教会の対応

共産主義に対する教会の対応の第一は、上記のとおり、「社会教説」による労働問題、社会問題の解決である。これは共産主義の浸透を防ぎ、共産主義の批判、反証となる。

共産主義政権下の教会は、厳しい弾圧や制約の中、決して暴力に訴えることなく、よく耐えて信仰を守り抜き、福音の殉教者的証となってきた。世界中の教会が共産主義政権下の教会に連帯して今日も祈っている。

共産主義国に対するバチカンの対応は、まず実効支配している共産政権を認め、国交を開くよう努めてきた。すべての国に対して等しくその使命を果たすためである、現在、ベトナム政府との外交関係の樹立が真近いとの報道があり、中国との交渉は進められているが難航している。宣教師の派遣については、福音宣教省のもとで幾つかの修道会、宣教会が準備を整えてその日を待っている。また、マスメディア、特に電波メディアを通しての宣教に力を注いできた。電波に国境はないからである。もう一つ大事なのは、世界中の教会が共産主義者の回心、圧制からの民衆の解放と人権回復のために祈り続けてきたことである。ファチマの聖母のお告げのとおり、世界の信者たちの祈りと犠牲が、ロシア開放の大きな要因だと信じられている。

なお、ここに示したのはあくまで「教会としての対応」であって、信徒個人の場合は、「市民・国民の名において」、共産主義に対して政治的にも可能な限り、自由を求めて最善を尽くすべきである。



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