「家族の日」について

「家族の日」について

カテゴリー カトリック時評 公開 [2007/11/15/ 00:00]

「結婚して子どもを産み育てることが当たり前と皆が自然に考える社会」を目指し、「子育てや家族についての意識改革」(以上、内閣府「家族・地域の絆再生」プロジェクトチーム)を図る日と言うが・・・

11月の第3日曜日(今年は18日)は、少子化対策の一環として国が定めた「家族の日」であることを先月18日の朝日新聞記事で知った。小さな記事だったので気づいていない人も多いのではないだろうか。ことが重要であるだけに、扱いが小さいことは残念であるが、国が家族を重視し始めたことは評価したい。ところで、新聞記事は内閣府の07版「少子化社会白書」の内容について述べている。

「働きすぎを解消し『ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)』を実現するためには、各企業の労使交渉だけではなく、『社会全体で取り組むことが必要』と強調した。白書では、女性の7割が出産を機に仕事を辞めている現状に触れ、『仕事と子育ての二者択一を迫られ、いったん離職すると常勤での再就職が難しい』と指摘。一方、男性も8割が家事やプライベートを仕事と同じかそれ以上に優先したいと希望しているのに、実際は5割以上が仕事優先の生活になっているとした」。

仕事と家庭のバランスは、実際上は難しい問題だが、理論的には家庭優先が当然である。夫婦の共同生活と子育てを使命とする家庭は、社会に先立つ原初の「生命と愛の親密な共同体」(現代世界憲章28)であるから、家庭が生活の中心であって、仕事は家庭生活を支えるものでなければならないのである。そのため、家長一人の収入によって妻と子どもたちの生活を支えるだけの給料が適正賃金とされてきた。いささか古い資料だが、国際社会問題研究協会刊行の『社会綱領』第3版(1948年、久保正幡監修の邦訳は1959年)は次のように述べる。「職業上のつとめを真面目に果たす家長は、自己の労働によって、家族を養い育てるに足るだけの生計の資を得ることができなければならない」。同じ箇所に、既婚男性は家族を養いながら同等の職階にある独身男性と同等の生活水準を維持できなければならないとしている。これは応分の家族手当のことを意味しよう。

ところが、現今の社会状況は明らかに仕事優先であり、さらには働く女性が増え、核家族化の中で夫婦共稼ぎが常識となったいま、さまざまのひずみが家庭にしわ寄せされて、家族生活も子育てもいっそう難しくなることが多いという。一方、多くの若者たちが正規の職につけず、結婚もままならない事情もある。この状況を逆転して家庭重視の価値観を実現し、家族の生活と子育てに見合う収入を保障するため、官民共に相当の意識の転換が要求される。それは単に少子化解消のためばかりでなく、失われつつある人間性回復のためにも極めて重要なことである。

そこで、二つのことを特に付け加えたい。一つは、家庭(家族)とは何であるかをあらためて確認することである。「人が独りでいるのは良くない」(創世記2,18)と言って人間を男と女に創造された神は、これを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(創世記1,27-28)。この神の定めに従って、「男女が相互に全生涯にわたる生活共同体を作るために行う婚姻の誓約は、その本性上、夫婦の善益と子どもの出産および教育に向けられている」(カトリック教会のカテキズム1601)。従って、「婚姻と夫婦愛はその本性上、子どもを産み育てることに向けて定められている」(現代世界憲章50)。こうした性と結婚の意義と目的については、何よりもまず子どもの性教育において教えられなければならない問題である。

次に、「国家は婚姻と家庭の真の本質を認め、守り、高め、公衆道徳を擁護し、家庭の繁栄を助けることを、その尊い義務としなければならない」(現代世界憲章52)。家庭に対する国家の補完的義務のうち、ここには特に住宅事情について取り上げておきたい。もともと「社会の生きた細胞」としての家庭の安定性は、「土地所有権に基礎付けられた安定性」(社会綱領33)にあると言われる。これには過疎地への人口分散を必要とするが、都市集中型のわが国の事情を考慮すれば、少なくとも結婚当初から安心して夢を托せる住宅を手に入れる可能性を開かなければならない。家族みんなでくつろげる広さと環境を持つ住宅を割安で供給できなければ、いくら「出産や子育てを応援する社会」の構築を叫んでも無意味だろう。