巨大化するマンモン(富)の脅威

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巨大化するマンモン(富)の脅威

カテゴリー カトリック時評 公開 [2008/06/01/ 00:00]

「人はだれも二人の主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他を愛するか、または一方に親しみ、他をうとんじるか、どちらかである。あなたがたは神とマンモンとに兼ね仕えることはできない」(マタイ6,24)。

「富を持つ者が神の国に入るのは、なんとむずかしいことであろう。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」(ルカ18,24-25)とキリストは言われる。昔から人間はお金の魔力に弱い。文明開化の現代において、マンモンの暴威はますます巨大化し、拝金主義者たちの良心を狂わせ、世界中の貧しい人々を苦しめている。わたしは経済のことはよく分からないが、多くの専門家の言説から見ると、マンモンの現代名は「投機マネー」。その暴威は食糧市場や原油市場に進出して世界中が大変な騒ぎになっている。ある報告では、原油は実勢価格の倍以上で取引されているという。

最近知ったことであるが、マンモンの暴威を許しているのは「新自由主義」という妖怪だそうだ。文芸春秋誌6月号の記事、『恐るべき格差を生んだ妖怪とは』には、この「新自由主義」についての解説がある。「グローバル経済が拡大する21世紀の世を、新自由主義という妖怪が徘徊している。新自由主義は、産業革命後の19世紀末の英国に生まれた自由主義(リベラリズム)の現代版だといわれている。競争と規制緩和による市場原理に基づいて、富の再配分を行う考え方である。だが実は、その二つは似ても非なるものだ。かつて自由主義は政治的な側面と経済的な側面を車の両輪としてきたが、新自由主義が継承したのは経済的側面、つまり競争至上主義だけだったのだ」(佐藤優『序――新自由主義という妖怪』)。ついでに、「現代政治用語辞典」によれば、「小さな政府」とは新自由主義の一環で、できるだけ民間の自己責任や自由競争に任せて、あまり国民の面倒を見ない政府のことらしい。では、暴走するマンモンの脅威に対して何をなすべきか、二点を強調しておきたい。

第一点は、財貨の私的所有権の制限についてである。

まず、『カトリック教会のカテキズム』の教えを見ておこう。「神は、初めに地とその産物とを人類の共同の管理にゆだね、人類がそれに手を加え、労働によって支配し、その実りを得るように計らわれました。創造されたものは全人類のためのものです。けれども、土地は人々に分配されました。それは、欠乏や暴力の危険にさらされる生活の安全を保証するためです。財貨を私有することは、人間の尊厳と自由とを保証し、それぞれが自分自身にとって基本的に必要なものや自分が扶養する人々にとって必要なものを賄えるようにするためには、正当なことです」(n.2402)。

この教えは教会の社会教説の重要な部分である。地上の財貨は全人類の共通遺産であり、個人の尊厳と自由を守るために財貨の私的所有が権利として認められているが、しかし、これは同時に必要に応じて他者のために使用しなければならないという大前提がある。第2バチカン公会議はこう述べている。「それゆえ、人間は財の使用に際して、自分が正当に所有している物件を自分のものとしてばかりでなく共同のものとしても考えなければならない」(現代世界憲章69)。私有権には明らかに制限があるということである。こうした観点から見ると、市場原理に基づいて富の独占を許す「新自由主義」「(抑制なき資本主義、経済至上主義、市場原理主義などと同根)は、多くの貧しい人々の私有財産権を侵し、同時に、財貨の公共性にももとることが明らかである。

第二点は、世界の富の公平な分配に関する政治の責任についてである。

『カトリック教会のカテキズム』は教えている。「政治をつかさどる者は、所有権の正しい行使を共同善のために規制する権利と義務を持っています」(n.2406)。

共同善(共通善ともいう)とは一人ひとりの、そしてすべての人が人間の尊厳にふさわしい生活を送るために必要なすべてのものを意味するが、特にここでは私的所有権とその恩恵だと理解してよい。現代世界においてはすべての人が共通善にあずかるにはあまりにも困難が多い。畑を耕し、猟をしていれば生きていかれた時代とは異なり、社会・経済環境を一変させたあの産業革命以来、自分と家族の日ごとの糧を得るにも他人の、特に政治権力の公正な配慮を必要とする時代である。この意味で、「補完性の原理」に立ちつつも政治が担う責任と使命は極めて大きい。弱肉強食の格差社会に道を開く新自由主義を掲げて{聖域なき規制緩和}だの「小さな政府」だのと浮かれている場合ではない。加えて、グローバル化した現代においては、一国政府の力だけではどうしようもない国際的なマンモン(巨大資本)の暴威もあるから、世界中の国々が参加する事実上の世界機構、すなわち国連の役割が重要になる。去る4月、国連を訪問した教皇はすべての国民の人権と共通善を擁護するよう訴えられたが、地上の富を奪い合って互いに狼になるか、あるいは分かち合って一つの家族になるか、世界はつねに岐路に立っている。