「パウロ年」の意義を問う

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「パウロ年」の意義を問う

カテゴリー カトリック時評 公開 [2008/07/01/ 00:00]

カトリック教会は今年6月28日から来年の6月29日までを「パウロ年」として記念する。創立間もないキリストの教会発展の基礎を築いた二人の偉大な使徒の一人、聖パウロの生誕2000年を記念するもので、教皇ベネディクト16世の決定による。でも、なぜ今「パウロ年」なのか、少し考えてみたい。

使徒聖パウロは、12人の使徒の頭聖ペトロと並んで6月29日に記念されて来たが、その出自は極端に違う。聖ペトロは生前のイエスに召し出され、3年間みっちり薫陶を受けて使徒団の頭に任じられ、師の死と復活を目の当たりにした本来の使徒であったのに対し、聖パウロは、聖霊降臨によって教会が発足した後、死者の中から復活して生きておられるキリストの出会い、回心して異邦人に派遣されたユニークな使徒である。しかし、目指した目的は全く同じ「キリストの王国」の建設であり、その最後も同じ紀元67年、ローマで殉教を遂げた。

パウロは「わたしはキリキアのタルソで生まれたユダヤ人です」(使徒行録22,3)と自己紹介し、更に述べる。「八日目に割礼を受けたイスラエル民族であり、ベンヤミン族出身、ヘブライ人中のヘブライ人、律法についてはファリサイ派、熱心の点では教会の迫害者、律法の遵守についてはとがなきものであった」(フィリッピ3,5-6)。しかし、パウロはキリスト者迫害のためにダマスコに向かう途中、光に打たれ、生きているキリストに出会って回心した。キリストこそユデア人が信じる旧約聖書の成就であり、完成であることを悟ったのである。こうしたパウロはキリストの弟子となり、異邦人の使徒となった。

パウロの使命は異邦人、つまり、ユデア人もさることながら、誰よりもまだキリストを知らない異郷の人々にキリストによる救いの福音(よい知らせ)を告げることであった。パウロの洗礼を授けたアナニアに主は言われる。「さあ、行け。彼(パウロ)は異邦人や王たち、また、イスラエルの民にも、わが名をもたらす器として、わたしが選んだものである」(使徒行録9,15)。パウロはヘレニズム(ギリシャ文化)の町タルソに生まれてその教養を身につけ、生まれながらにしてローマ市民権を持った国際人として、小アジアからヨーロッパの東部、ギリシャ方面に向かって3度の伝道旅行を行い、最後にはローマに連行されて囚人の身ながら宣教に専念し、遂には首をはねられて十字架の師に結ばれる。

聖パウロがおよそ30年にわたって宣べ伝えたキリストの福音を一言で要約するのは困難であるが、それに近い表現は、おそらくエフェゾ1,10にある次の言葉ではないかと思う。パウロは書いている。「神は、・・ご意志に秘められた神秘を悟らせてくださいました。それは時が満ちて、キリストにおいて実現されるようにと、あらかじめ計画したおられた、その良しとするところに従ってのことです。その神秘とは、天にあるもの、地にあるもの、すべてのものを、キリストを頭として一つに結び合わせるということです」。この最後の言葉を、ちょうど1世紀前の教皇、聖ピオ10世は次のように要約した。”Instaurare Omnia in Christo”、訳せば、「キリストにおいてすべてを再建する」となろうか。

天地創造を終えた神について創世記は述べる。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(1,31)。この神の傑作を壊したのは人間の罪である。原罪と、原罪に傷ついた各人が犯す罪である。そしてキリストは、人間となった神の子として、その教えと行い、特に十字架上の死と三日目の栄えある復活を通して世界を再建し、かつてに優る栄えある「新しい天と地」(2ペトロ3,13)へと世界を導かれる。したがってパウロはキリストにおいて世界が一新され、救われることを世界中に告げ知らせるために選ばれたものとして、命を懸けてその使命に邁進したのである。

「パウロ年」を布告し、パウロの再来を呼びかけた教皇ベネディクト16世の狙いは、おそらく教会の新たな奮起を促すとともに、世界に向かって「キリストの福音を信じよ」とあらためて訴えかけるものであると思う。人類世界を最終的に救うのは金でもなければ政治でもない。神の傑作である世界を壊したのは人間の自由の乱用であるが、この世界を一新し、再建するのは神の力、すなわち第2の天地創造が必要とする。従って、世界を一新するために遣わされた神の子キリストこそ人類の唯一の救いであり、その復活はこの真理の最高の証である。宣教者パウロの原点もそこにあった。そして、この真理を世界に届けるのが教会の本質的な使命である(『宣教教令』2参照)。主イエスは弟子たちに命じられた。「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罰せられる」(マルコ16,15-16)。