シドッチ神父来日300周年

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シドッチ神父来日300周年

カテゴリー カトリック時評 公開 [2008/10/01/ 00:00]

今年10月10日はジョバンニ・バッチスタ・シドッチ神父の来日300周年に当たる。上陸地が鹿児島県屋久島だということもあってこの記念日はわたしの心をそそる。江戸時代の中期、わが国の鎖国政策が確立し、キリスト教邪教観も定着していた時期、シドッチ神父は西欧に開かれた唯一の港長崎ではなく、なぜ、また何のために屋久島に上陸したのか。その辺をもう一度見てみたい。

シドッチ神父は1668年シチリアのパレルモに生まれ、若くしてローマで学び、やがてローマ教区の司祭に叙階される。1703年、35歳のとき、ローマの教区司教でもある時の教皇クレメンス11世から日本に行くよう命じられる。この前年、日本では赤穂浪士の討ち入りがあった。シドッチ神父は、3年後の1706年にローマを出発、約一年を費やしてマニラに着き、在住日本人らから更に日本語をはじめ、日本の風俗習慣を学び、一年後の1708年、日本人のように月代を剃り、四目結の紋を染めた浅黄色の木綿に茶色の裏地のついた着物を着、二尺四寸七分の刀を差して屋久島に上陸する。40歳であった。

なぜ、長崎ではなく屋久島に上陸したのか。当時長崎には唯一交易を許されたオランダ人がおり、カトリック対立していたプロテスタントのオランダ人の予想される妨害を避け、捕らえられて江戸に送られ、将軍に直接会うことを目指したであろうことは、諸般の事情から読み取れる。たとえば、屋久島でつかまったとき、シドッチは長崎に護送されることを極端に嫌い、長崎ではオランダ通詞を徹底して拒んだのである。しかし、その願いも叶わず、定めどおりに長崎に移されて尋問を受け、将軍の代替わりのために一年遅れの1709年の秋、江戸に護送されて将軍の名代・新井白石の取調べを4回にわたって受け、12月1日、小石川のキリシタン屋敷に軟禁される。そして1715年、神父の世話をしていた長助・ハル夫婦の願いを断れず洗礼を授けたことにより地下牢に移され、11月17日に獄死した。47歳であった。

シドッチ神父はただの宣教師ではない。白石の尋問の記録『西洋記聞』によれば、シドッチ来日の目的はただ一つ、将軍に会って日本におけるキリスト教の宣教再開を要請することであった。その許可が得られれば、すでに中国やタイに対して行われたように、正式に教皇使節を派遣して宣教を再開する手はずであった。たとえそれが叶わず、打ち首になったとしても悔いるところはないとシドッチは語っている。結果的に最良の結論は得られず軟禁の処置とはなったけれども、シドッチは日本派遣の使命は果たしことになる。

300年後の今、わたしたちはシドッチ神父の出来事から何を学ぶべきか。ここには次の二点を挙げる。

1)万人への福音宣教は教会の基本的使命

キリストは使徒たちに命じた。「全世界に行き、すべての者に福音を述べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罰せられるであろう」(マルコ16,15)。使徒たち、たとえば聖パウロは確信している。「神は唯一であり、神と人との間の仲介者もまた、人であるキリスト・イエズス、ただ一人です」(1テモテ2,5)。シドッチ神父をキリシタン禁制の日本に遣わしたローマ教皇はこの宣教使命に忠実であり、日本への宣教を忘れてはいなかったのである。この使命は今日の我々にも継続されなければならない。そして今日の日本も、キリスト教のメッセージを真面目に聞く権利と義務があることを忘れてはならない。

2)日本人への宣教における「創造主なる神認識」の重要性

シドッチ神父の取り調べに当たった新井白石は、「キリスト教の社会秩序に与える影響は好ましくない。キリスト教の神が君父の上にあるとすれば、君を軽んじ、父を軽んずることは必定で、大変なことになる。それにわが国民は異教を信じやすいときている。したがってキリスト教を厳しく禁じることは、決して過剰防衛にはならない」と。白石は当代髄一の知識人であり、実学を重んずる朱子学者ではあるが、シドッチ神父が語るキリスト教の真理を理解することはできなかった。理性の推理能力を信頼し、人間と世界についての真理探究の熱意があれば、誰もキリスト教のメッセージを無視することでできない。この教訓は、シドッチ神父来日300周年を記念する今日の我々に重大な示唆を与えていると思う。すなわち、わが国における福音宣教においては、世界の究極の意味を問う欲求と可能性について、もっともっとはっきりと教え、かつ議論しなければならないということである。聖フランシスコ・ザビエルとその後継者たちの日本布教において、日本人が信じてきた神仏の認識を超えて、「天地創造の神の存在」とその普遍的な救済意思とについて強調した伝統は、現代においても重要であるということである。