資本か労働かー古くて新しい問題
カテゴリー カトリック時評 公開 [2009/01/01/ 00:00]
アメリカのサブプライムローン問題に端を発した金融危機、そしてそれに続く世界同時不況の嵐の中で新しい年を迎える。すでに多くの識者や専門家がこの危機について論評し、問題解決に向けた分析を始めている。では、この重大な経済問題に関して教会の見解は何か、社会教説に照らして考えてみたいと思う。
さる12月24日の南日本新聞朝刊3面にショッキングなニュースが載った。見出しはこうだ。
雇用より株主重視
内部留保、空前33兆円 減益でも増配・維持
大手製造業16社集計
雇用は労働、株主は資本と言い換えてよい。この100年に一度といわれる不況の中で、会社は減益でも33兆円もの利潤を溜め込んで株主には増配するか現状維持で利益を分配しながら、しわ寄せはもっぱら労働者に向けられる。周知の通り、世界中で大量の労働者が解雇されて職を失なつた。わが国では特に派遣労働者など非正規社員の容赦ない首切りが続いている。労働者を搾取し、自己防衛のためには労働者を紙くずのように切り捨てる資本主義の本性が透けて見える。果たしてどれだけの失業者が無事に年の瀬を越したであろうか。
こうした事態を見ていると、かつて19世紀に始まった産業革命がもたらした「資本か労働か」という深刻な労働問題、社会問題が、21世紀の今も「古くて新しい問題」として持続していることに驚きを隠せない。もっとも、わが国では前世紀の終わりごろから、いわゆるライブドア事件や村上ファンド事件など、強欲な拝金主義が顕在化し、企業は株主のものか労働者のものかといった議論が一部でなかったわけではない。しかし、今回の問題によってことがより重大な問題としてクローズアップしたと言えよう。
ところで、教会の任務は霊的秩序にあって、経済問題には直接関与することはない。前教皇ヨハネ・パウロ2世は書いている。「このような変化(ここでは世界同時不況問題)が人間の社会にもたらす影響を科学的に分析することは、教会の任務ではありません。しかしながら、働く人の尊さと権利への注意を促し、そのような尊さと権利が侵害されている諸状況を断罪し、人間と社会にとっての真の進歩を確保する方向に先述の変化を導くことで協力することは、いつも教会の任務だと考えています」(回勅『働くことについて』1)。つまり教会は宗教的かつ倫理的観点から経済や社会問題について発言するのである。
労働問題に発する社会問題や経済問題について教会が公式に発言したのは1891年、レオ13世教皇の「不滅の回勅」と呼ばれる『レールム・ノヴァールム』(新しいことがら)においてである。当時は産業革命の時代であって、「経済の領域では、科学の諸発見とその実用化が同時に進み、消費財の生産の新たな仕組みが次第に姿を現してきました。すなわち、新たな所有の形態として出現した資本と、あらたな労働の形態として出現した賃金労働です」(ヨハネ・パウロ2世回勅『新しい課題』(原題は「レールム・ノヴァールムから百年」)4)。「労働は市場で自由に販売される商品の一つと化し、その価格は個人とその家族を扶養するための必要最低限の水準さえ考慮せず、需要と供給の法則によって決定されるようになりました。さらに労働者は自分自身という商品を売る立場さえ保障されず、引き続き失業の脅威にさらされていました」(同上)。今日の労働問題を述べているようではないか。
教皇は言う。「『レールム・ノヴァールム』の本質はまさに、当時の経済・社会情勢における正義のための基礎的諸条件を宣言することでした」(同上)。基礎的諸条件とは、「人格の超越的尊厳」に基づく「労働者の尊厳であり、また、同じ理由から、労働の尊厳です」(同上)。こうしてレオ13世は資本に対する労働の優位を宣言し、労働の個人的かつ家族的目的に加えてその「社会的次元」、すなわち社会のためであることも強調、安定した雇用と正義に基づいた賃金を保障するよう求めたのである。回勅はまた、際限なく利潤を求めて暴走する資本をコントロールする公権の補完的役割や、雇用者に対して弱い立場の労働者がその尊厳や権利を団結して守るための労働組合運動の重要性についても強調している。
19世紀に対して今日の経済・社会情勢は想像を絶するほど複雑化し、グローバル化しており、その諸問題の解決は困難を極めようが、しかし、科学・技術の驚異的発展や情報・流通の世界的効率等を考慮すれば、世界中の働く人々の安定した雇用と正当な待遇を保障し、増大する社会的弱者に対するセーフティネットを構築することは不可能ではあるまい。必要なのは人間人格の超越的尊厳と、世界の富は奪い合うものではなく、もともと全人類で分かち合うべき共有の遺産であることに、価値観を転換することだけである。抑制なき資本主義の矛盾が露になった今、教皇も平和の日メッセージで言うように、経済構造と労働配分の構造を根本から見直す好機である。