皆既日食―光と闇の神秘を想う

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皆既日食―光と闇の神秘を想う

カテゴリー カトリック時評 公開 [2009/08/01/ 00:00]

さる7月22日、わが国で見られる46年ぶりの皆既日食はあいにくの悪天候になったが、鹿児島市では雲の切れ間から三日月のような部分日食が観測でき、わたしも世紀の天体ショウを肉眼で観察しながら宇宙の不思議を想った。特に考えさせられたのは「光と闇の神秘」についてである。

今日の科学は天体の研究を大幅にすすめ、太陽を中心とする宇宙の謎を相当に解いてきたが、まだ根本的な謎は深い闇の中だ。今回の皆既日食を機会にこれまでの天文学の成果が披露され、われわれの太陽についての知識は大いに啓発されようが、しかし、それでも光と闇のドラマの神秘があらためて問われなければならない。そして、キリスト教はその謎解きに決定的な回答を提供するだろう。

何よりもまず、太陽は宇宙万物は創造主なる神によって無から創造された。この第一の創造において光も神によって造られ、闇から分けられたのである。

「神は言われた。『光あれ』。こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」(創世記1,3-4)。

こんなエピソードがある。幕末から明治の初めにかけて浦上のキリシタンたちは一村総流罪とされたが、リーダー格のキリシタンたちが流された津和野では背教を迫る激しい説得が行われた。役人が言う。「日本人はお日さまの恩恵に感謝して朝日を拝んできた。お前たちはなぜ拝まないのか」。キリシタンたちは答える。「闇夜に提灯を貸していただいたとき、闇夜を照らす提灯にはお礼を言わず、提灯を貸してくれた人にお礼を言います。わたしたちは太陽を拝まず、太陽をつくってくださった神様を拝むんです」。250余年にわたって宣教師なしに迫害に耐えてきた浦上のキリシタンたちの信仰はいささかも衰えてはいなかった。

キリスト教において、光と闇は象徴的な意味をもつものとして啓示される。たとえば、旧約において詩篇は歌う。「神はわたしの光、わたしの救い。わたしはだれも恐れない」(27,1)。

実に光は神の現存の象徴であり、神の光は人間の救いを象徴する。そして闇は神不在の象徴であり、神からい離散した人間の不幸を象徴する。「彼らはみ手から切り離されています。あなたは地の底の穴にわたしを置かれます。影に閉ざされたところ、暗闇の地に」(詩篇88,6-7)。しかし、神は約束される。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地にすむ者の上に、光が輝いた」(イザヤ9,1)。

この約束が果たされる新約において、人となった神の子イエス・キリストは、まさに「闇と死の影に座っている者を照らす」(ルカ1,79)光であり、「異邦人を照らす光」(ルカ2,32)である。世の光であるキリストは、一度だけ、光り輝くご自身を示された。「主のご変容」と呼ばれる出来事である。「イエスはペトロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山にお登りになった。その時、彼らの見ている前で、イエスの姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白く光った」(マタイ17,1-2)。

キリストが二度目にその栄光を現わされるのは終末のとき、すなわちキリスト再臨のときである。「すると、玉座に座っているかたが、今、わたしは万物を新しくする、と言われた(黙示録21,5)。「この都には、それを照らす太陽も月も必要がない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の光だからである」(黙示録21,23)。「この都」とは、「新しい天と新しい地」(黙示録21,1)、あるいは「聖なる都、新しいエルサレム」[同上]と呼ばれる完成された神の国を意味する。そして「子羊」とは、キリストのことである。洗礼者ヨハネは自分の方に来られるイエスを見てこう証言する。「御覧なさい、世の罪を除く神の子羊を」(ヨハネ1,29)。このイエス・キリストの光が輝くその時、物理的な光はその使命を終えるであろう。

科学の発達により、太陽についての知識は増大したが、半面、迷信はもとより、神話的な概念もその意義を失った。しかし、太陽をはじめ、全宇宙にまつわる光と闇の究極の謎は、キリスト教の神秘抜きでは解明できないのである。



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