人は政治だけで生きるのではない
カテゴリー カトリック時評 公開 [2009/10/01/ 00:00]
先の衆議院総選挙に続いて9月16日、鳩山連立内閣が発足して戦後初の本格的な政権交代が実現した。わたしは国民の一人として、また日本国民の真の幸せを願う一司教として、真に国民全体、特に弱者のための政治が実現すると同時に、真に世界平和に貢献できる新しい国づくりが進展することを願うばかりである。
しかし、そのような国民の物質的かつ経済的な生活を保障する新しい政治の発展と合わせて、もう一つのこと、すなわち精神的かつ霊的な転換が国民の間に行われることを望んでやまない。なぜなら、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るすべての言葉によって生きる」(マタイ4,4)という聖書の言葉通り、「人は政治だけで生きるのではない」からである。人間は肉体と霊魂から成る人格であり、人間がその使命を全うして究極の目的に達するためには、肉体を養うパンだけではなく、その魂を養う霊的な糧が必要なのである。この霊的な糧とは聖書が言う「神の口から出るすべての言葉」、すなわち万物の創造者である「神の意志とその計画」である。この神の意志と計画は政治が取り仕切るこの世の生活においてばかりでなく、宗教が担当する死後の究極の世界のためにも、その双方に必要である。
従って、政権交代をしたわが国の新しい政治に期待するのは当然のことであるが、この政治の変わり目にあたって、もう一つの国民の刷新について明確な認識と期待を持たなければならない。そしてこの刷新の緊急性について強調しなければならない徴候がすでに顕著に表れ始めている。
たとえば、医療危機や医療崩壊が叫ばれて既に久しいが、そこには、日本の政治が長い間求め続けてきた経済至上主義が国民の間に培ってきた、物資主義や金儲け主義が醸成されているのではないかという心配がある。勤務がきついうえに儲からない勤務医師が敬遠されて公立病院が閉鎖されたり、きついうえに、一つ間違えば訴えられる危険を伴う産婦人科や小児科、外科が敬遠されて産婦や子どもが必要な治療が受けられなくなると言った事態がしばしば報道されている。「医は仁術」と言われたが、今や「医は算術」に変わりつつあるのではないか。
一方、高齢化が進むに従い「老人介護」の需要は増え続けるであろうが、ここにも、介護士を志望する者が決して十分ではないという報道がなされている。世界金融危機に始まる失業者の増加に伴い、介護や環境などの新たな雇用が見込まれる中、「楽をして儲かる仕事」への願望が克服されない限り、介護事業の充足は覚束ないであろう。さらにまた、新政権が進めようとしている「子ども手当」や「高校無償化」その他、子育て環境が整っても、生活を切りつめてでも立派な市民を産んで育てる旺盛な使命感がなければ、大した少子化対策になりえないだろう。豊かで安楽な生活を追求するあまり、景気低迷のしわ寄せが子育てに集中し、これを敬遠する風潮がすでに顕著だからである。
このような事情を考慮するとき、わが国においては政治変革と同時に、精神革命、すなわち、利己的な経済至上主義から、世のため人のためには己を犠牲にして奉仕しようという、真に人間らしい使命感への転換が必要とされよう。しかし、新自由主義や市場原理主義によって根付いた物質主義や金儲け主義からの転換は困難である。それゆえ、物より心を大切にする精神革命を成功させるためには、意識的かつ真剣な反省とともに、精神的かつ霊的な世界への回心が強く求められるのである。
ここで「神の言葉」を新ためて聞いておきたい。キリストは言う。「金持ちが天の国に入るのは、難しいことである。重ねて、あなたたちに言っておく。金持ちが神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通るほうがもっとやさしい」(マタイ19,23-24)。聖パウロも言う。「金持ちになろうと望む者は、誘惑の罠、愚かで有害なさまざまな欲望に陥ります。それらのものは、人々を滅びと破滅に沈ませます。金銭欲はすべての悪の根源です」(1テモテ6,9-10)。
ちなみに、先日の朝日新聞の「ソマリアルポ」の中につぎのような一文があった。「海賊行為が手軽な巨額ビジネスになるにつけ、モラル低下が目立つようになった」。まさに聖書の言葉を地で行くような話である。
物質主義に染まり、金儲け主義に情熱を燃やしている人々にはこんな聖書の警告などに心を留める余裕はないかもしれない。しかし、精神的かつ霊的価値を大切にする人々は決して少なくない。特に子どもたちは、信頼する親や大人たちの教えをその純粋な心に素直に受け取りはずである。従って、日本人の精神革命は教育からということになろう。そう言う意味で、「人格の超越的尊厳」に基づく「真の人間教育」の重責を担うべき家庭、学校、そして教会の使命の重要性をあらためて強調しおきたい。