所在不明高齢者を生む個人主義社会

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所在不明高齢者を生む個人主義社会

カテゴリー カトリック時評 公開 [2010/09/01/ 00:00]

このところ、所在不明高齢者の問題がにわかにクローズアップされてきた。調査が進むにつれ、ますます深刻な事態になっている。これは、直接的には家族や役所の問題であるが、なぜこんな問題が起こったのか、そもそもの原因を追求することも重要である.

本来、人間は社会的な存在である。「人が一人でいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2,18)と言って、男のために女を造られた神は、人が結婚と家庭の制度を基点とした共同体を生きるよう望まれた。つまり、人間は誰であれ、生まれながらにして相互の交わりと助け合いを通して生きるよう定められている。人間のこの社会的かつ共同体的な生き方について、第2バチカン公会議(1962-65)は、次のように表現している。

「主イエスは、『われわれが一つであるように、すべての人が一つになるように』(ヨハネ17,21-22)と御父に祈られたとき、人間理性が達することのできない視野を示されたのであって、三位にまします神格の一致と、真理と愛における神の子らの一致との間の、ある類似をほのめかされている。この類似は、神が、そのもの自体のために望んだ、地上における唯一の被造物である人間が、みずからを純粋に与えてはじめて、完全に自分自身を見出せることを表している」(現代世界憲章24)。

この言葉を少し考えてみよう。人間は神の似姿として創造された。神と人間とのこの類似は、神が父と子と聖霊の三つのペルソナの尊い交わりと一致を生きておられるように、人間もどんなに大勢いたとしても、互いの愛と助け合いを通して一つになって生きるということである。そもそも人間は、知恵と自由を備えた独立主体として、つまりペルソナ(人格)として、地上では他の一切の被造物とは異なり、それ自体、すなわち一人一人が目的であり、かけがえのない尊い存在として造られたが、しかし、真に人間として自己を実現するためには他者が必要であり、従って、世のため人のために自己をささげ、分に応じてこれに貢献しなければならない、ということである。

これはまさにキリスト教的逆説であるが、自己を与えることによって自己を得るというわけであり、自己を実現するためには、まず自分を与えなければならないというわけである。これは、キリストが弟子たちに与えた「新しいおきて」、すなわち、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合わなければならない」(ヨハネ13,34)という相互愛の実践を意味する。「わたしが愛したように」とは「友のために命を捨てる」(ヨハネ15,13)ということである。この愛の実践があれば、一人ひとりを大切にし、一人ひとりが大切にされる社会が実現し、人間は一つとなって神の似姿を実現するはずである。

残念ながら、わが国の現実はこの理想から遠く離れている。戦前の全体主義的な政治体制から民主主義体制に移行するに当たり、個人主義があらゆる場面に顔を出してモラルの低下を招き、各個人の基本的人権が共同体の中で守られ発展させられる人格主義的社会が失われてきたように思えてならない。「消えた老人」問題もその一つの現象であると言える。従って今、あらためて人間共同体の再構築に全力を挙げる必要がある。一つには家庭の再建である。「社会の細胞」として人間生活の基盤となる結婚による家族共同体が危機にあるからである。単身志向や晩婚、さらには未婚や離婚の増加によって孤立化が進み、核家族化の弊害が極限に達しつつあるのではないか。

他方、人間共同体としての機能を発揮すべき政治共同体の劣化が心配される。今回の居所不明高齢者の問題で、行政側からプライバシーの壁や予算不足があると指摘されたが、それは責任を回避しようとする言い訳であって、真の原因は役所の怠慢と言うほかない(註)。個人と共同体の関係を取り仕切る役割をもつ行政は、年寄りや児童の基本的人権を守るために必要なら、プライバシーや親権に立ち入る義務と権利を有している。市民一人びとりの現状を的確に把握することが行政の責任であるはずだ。一方、市民側も、共同体に積極的に参加し、ルールに従ってこれに協力し貢献する権利と義務を有していることを忘れてはならない。

もう一つ、個人主義社会を克服するために必要なのは隣人愛の高揚である。かつて住民同士が仲間意識を共有し、何かにつけて助け合った共同体精神はどこへ行ったのだろうか。愛は近くより遠くへという言葉もある。もっと近所づき合いを大切にし、行政の谷間を埋める隣人愛やボランチア精神の高揚を強く望みたい。

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(註) 「個人情報保護法」には、「人の生命、身体、又は財産の保護のため緊急の必要があるときは個人情報の目的外使用ができる」という規定があるという(インターネット投稿記事から)。