「地上の平和」の原型は「キリストの平和」

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「地上の平和」の原型は「キリストの平和」

カテゴリー カトリック時評 公開 [2011/01/01/ 00:00]

正月元旦は教会にとっては主の降誕祭の8日目であり、特に母なる聖マリアを記念する祝日であるが、同時に、この日は教会が定めた「世界平和の日」である。

『カトリック教会のカテキズム』は地上の平和について次のように教えている。「地上の平和とは、メシア的「平和の君」(イザヤ9,5)であるキリストの平和の写しであり、実りです」(n.2305)。

ここにいう「写し」の原語はimagoである。キリストの平和は地上の平和のモデルであるという意味になろうか。そして「実り」の原語はfructusで、結果の意味であるから、キリストの平和を地上に適用した結果だと言えよう。要するに、地上の平和とは、キリストの平和をモデルとしてこれを地上に実現したものと言ってよかろう。では、なぜキリストの平和が重要なのか。

上記カテキズムは平和について、第2バチカン公会議を引用して、次のように述べる。「平和とは、単に戦争がないということだけではなく、また、敵対者間の力の均衡を図るということでもありません(現代世界憲章78」)。その上、さらに「平和は秩序の静けさです」という聖アウグスチノの言葉、「平和は正義が造り出すもの」というイザヤ預言者の言葉(イザヤ32,17)、そして「平和は愛の結果です」という現代世界憲章78の言葉を引用している(n.2304)。

ここでまず、平和は秩序である、という言葉に注意しよう。かの有名なヨハネ23世の回勅『地上の平和』の冒頭の言葉が思い出される。「あらゆる時代の人々が切望してやまない地上の平和は、神の定めた秩序を全面的に尊重してはじめて、これを築き、固めることができる」(緒言)。そして、この秩序とは、物理的法則などのことではなく、人間の倫理的秩序、心の秩序であることを強調して次のように述べる。「世界の創造主は、人間のもっとも奥深いところに、秩序を刻みつけている。良心が人々に示し、かつ尊重するよう命ずる秩序がこれである」(同上)。聖アウグスチノが言う「秩序の静けさ」の秩序である。

聖書の教えるところによれば、神が人間のために定めたこの心の秩序は原罪によって乱され、弱められた。アダムの長男カインが弟のアベルを殺して時以来、人類の歴史は分裂と争いの歴史となる。キリスト教の確信によれば、神の実子「み言葉」は受肉して人間となり、人類のすべての罪を背負って十字架上の死に身を委ね、人類をあがなって原初の秩序を回復した。カテキズムは述べる。「キリストはご自分の十字架の血によって、ご自分の中で憎しみを滅ぼし、人々を神と和解させ、ご自分の教会を全人類の一致、神との一致の秘跡となさいました」(同上)。イザヤが預言したメシア、すなわちキリストは「平和の君」であり、「キリストはわたしたちの平和(エフェゾ2,14)である。

キリストの平和は、まず何よりも人間の心に実現しなければならない。罪によって生じた心の矛盾、すなわち一切の「怒り」、つまり「仕返しの願望」を捨て、愛の反対である一切の「意図的な憎しみ」を取り除いて、心の平和を取り戻さなければならない(カテキズムn.2302参照)。心の平和こそ、地上の平和の原点である。つまり、キリストのあがないをもって取り戻した心の平和、心の秩序を、地上の一切の制度の中に適用して、本来のあるべき倫理的秩序を打ち立てなければならない。わたしが特に強調したいのは、あまりにも偏り、乱れている世界の政治秩序、経済秩序、そして情報秩序の建て直しである。つまり、キリストの平和をモデルとして、国内的にも国際的にもすべての人の共通善を保障する政治秩序、奪い合うのではなく、世界中で公平に分かち合う経済秩序、そして真実と愛に基づく建設的な情報秩序を打ち立てなければならない。

こう言えば、キリストの平和を地上に実現するという理想は、きわめて困難で遠い道のりのようにも思われるが、しかし、キリストの心を自分の良心として平和のために尽くすよう努力している人は、思想信条の違いを超えて無数に見られる。民主活動家劉暁波氏のノーベル平和賞受賞は世界の平和運動家を励ましたし、社会的企業に立ちあがる若い企業家やいのちをかけて真実を追求するジャーナリストなどがあり、ボランチア活動もそれぞれの国の内外で活発である。これらニュースになる人々の背後に、名もない無数の善意の人々が日々隣人の幸せのために献身していることをわたしは信じて疑わない。キリストの平和の霊・聖霊はあまねく世界で、善意の人々とともに働いておられるからである。もしこれらの善意の人々の力が声を出し、結集されて大きなうねりとなれば、世界平和への道は大きく開かれるはずだ。

キリストは言われた。「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5,9)。



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