無縁社会から共同社会へ

無縁社会から共同社会へ

カテゴリー カトリック時評 公開 [2011/01/15/ 00:00]

過ぎた2010年を振り返って、一番心に残っているのは社会生活の根幹にかかわる「無縁社会」の問題である。昨年1月31日のNHK/BSテレビ番組「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃」は文字通り衝撃的であったが、その取材記録が11月15日、「中間報告」として出版された。そこで、この現象をどう見るか、あらためて考えたい。

「無縁社会」とは「NHK無縁社会プロジェクト取材班」が名づけたもので、「つながりのない社会、縁のない社会」のことをそう呼んだ。血縁、地縁、社縁(会社との縁)が指摘されるが、そうかもしれない。中でも血縁は未婚・離婚の増加によって危機的状態にあるという。2030年には、生涯未婚の女性は人口の4分の1、男性は3分の1に達すると予測する。また、朝日新聞12月26日朝刊では、「個を求め、個に向き合うわたしたちのことを孤族と呼びたい」と述べ、「家族」から「孤族」への動きが強まると予想する。

こうした無縁社会をどう見るか。多くの人は「人に助けてと言わない、そして人に迷惑をかけない」無縁社会を当然とみているようだが、しかし、それは異常な社会であり、「非人間化社会」である。人類創造の始め、神は「人が独りでいるのは良くない」(創世記2,18)と言われ、人を三位一体の「神の似姿」(同1,27)に造られた。つまり、人間は社会的存在として一つになって生きることを望まれたのであるから、「無縁社会」も「個族社会」も人間本来のあり方に反するものとしてこれを否定し、もう一度、あるべき社会の基本に立ち返る必要を感じる。

さて、社会のかたちにはいくつかのものが考えられる。教会では古くから「共同社会」(ゲマインシャフト)と「利益社会」(ゲゼルシャフト)を区別してきたが、NHKが言う血縁と地縁が前者、社縁が後者に当たる。後者は外面的な目的、例えば利潤とか研究とか、を共に追求する団体であって、必ずしも人間の生涯を支配しないが、前者は人間の本性に基づく内面的な根拠と目的によって結ばれた共同体であって、生涯にかかわる恒常的な縁であり絆である。

まず家庭は、一組の男女が自由意志によって生涯を誓う結婚の誓約による共同体であって、夫婦の一致と子どもの出産・教育を目的とする原初かつ最少の人間共同体である。家庭は「社会の生きた細胞」であって、その健全性は「社会の健全性のバロメーター」とされる。この結婚の制度について第2バチカン公会議は言う。「夫婦によって結ばれる生命と愛の共同体(家庭)は創造主によって設立され、法則を与えられた」(現代世界憲章48)。

一方、地縁を統括する国家は、家庭の限界を補完するために、様々な歴史的経過を経て形成され、近現代になってようやくその形が整って来た「政治共同体」であって、国民全体の基本的人権に基づく「共通善」を目的とする。公会議は言う。「政治共同体と公権は人間の本性に基づくものであって、従って神の定めた秩序に属するものである」(同上)。

さらに、「共同社会」に属するものとして、「教会共同体」がある。つまり教会とは世の救い主キリストによって創始された愛といのちの「霊的共同体」であって、人間の霊的秩序を統括し、地上的な共同体を神の計画に従って補完すると同時に、メンバーを永遠の至福のいのちに導くものである。

以上三つの共同体を生かすものは「正義と愛」でなければならない。共同体とはメンバーの一人一人を目的とし、一人一人を生かすための手段である。従って、共同体は強い正義感と愛の力がなければ正常に機能しないのである。わたしが学んだ倫理神学の教授は、教科書に”Soyons juste,mais par‐dessus tout la charite “というタイトルをつけたが、けだし名言である。直訳すれば「正義を守ろう、しかし、何よりもまず愛を」であるが、「愛を通して正義を実現する」という意味になる。これは、愛をもって共同体に参加することを通してメンバーひとりひとりの正義(いのち)を実現するということになろうか。要するに、愛は人々の交わりと一致を生み、赦し合い、分かち合い、補い合いをもたらす。こうして、人間は共同体に参加することを通して自らを実現し、完成することができる。

問題は、原罪に傷ついているがゆえに、人間の愛が弱体化しており、またその性格が悪に傾いていることである。善意はあっても力が足りないのだ。そのため、人間の愛を浄化し、強める「キリストの愛」が必要なのである。事実、キリストは、「友のために命を捨てる、これにまさる大きな愛はない」(ヨハネ15,12)と言われ、正義を失った人類を義とするために十字架上に命をささげられた。そして言われる。「わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい」(同13.34)。

今の世の中はあまりにも愛に反することが多すぎる。人間よりは経済を優先し、他者のことより自分の利益を優先する個人主義が横行している。従って、人間共同体の原点に立ち返って「正義と愛」を優先することが、無縁社会、孤縁社会を克服する最善の道ではないだろうか。家庭も国も教会も、本性上、キリストの愛を必要としているのである。