キリスト教と諸宗教との間

糸永真一司教のカトリック時評 > カトリック時評 > キリスト教と諸宗教との間

キリスト教と諸宗教との間

カテゴリー カトリック時評 公開 [2011/07/01/ 00:00]

宗教や宗派の種類や数について正確に知っている人がいるだろうか。手元にある文化庁編『宗教年鑑』(平成14年版)を見てみると、わが国の宗教は,神道系、仏教系、キリスト教系、そして諸教を含めて宗教法人数は合せて182,687、信者数の総計は214,755,485人に達する。

信者数は、二重計算などあって実際の日本人口の倍近くを数え、届け出ている宗教法人数を見れば、日本人が信じあるいは所属している宗教、宗派の多さに驚く。物質文明のただ中で飽食の時代を生きているとはいえ、日本人の宗教心は半端ではないと本気で思う。ただ、心配なのは、どのようにして自分の宗教なり信仰なりを選んでいるのかである。信教の自由という基本的人権は保障されているから、人の宗教に他人が口をはさむ理由も権利もないと思うが、やはり気になる。人間には生まれながらにして知的欲求があり、真理を探究することは理性的人間の義務だからである。

カトリックの場合は、洗礼、堅信、聖体という入信の三秘跡があり、自由意志による決意が要求されるから、本人の(幼児洗礼の場合は両親の)はっきりした自覚をもってキリスト教信仰を受け入れることは間違いないと思う。

では、他の諸宗教からキリスト教を区別するその本質的な特徴は何であろうか。新福者ヨハネ・パウロⅡ世は、キリスト教の本質的な特徴は神ご自身が人間に語られたことであると、次のように書いておられる。「他の宗教は人間の側からの神の探究を一貫して語りますが、キリスト教の出発点は御言葉の受肉です。それは、単に神を求めている人間の出来事ではなく、自らを人間に明かし、神に到達できる道を人間に示すための、人となった神の出来事なのです」(使徒的書簡『紀元2000年の到来』6)。

この言葉の中で、まず、諸宗教が「人間の側からの神の探究を一貫して語る」という点に注目したい。人間は神に向けて造られている。神に向うこの宗教心が様々な宗教を生んできたのである。従って、真摯に神に向う限り宗教は良いものであり、それが人間人格の発露としての行為であるがゆえに尊重されなければならない。しかし、諸宗教は人間の側の探究である以上、人間理性の限界ゆえに、真の神の認識が不明確であったり、自分に都合のよい神をイメージしたりという過ちに陥る恐れがある。それゆえ、諸宗教は「神からの応答ないし言葉」を必要としていると言わなければならない。

これに対して、キリスト教においては、「神の言葉」すなわち「神の子」が受肉して人となり、神ご自身が直接、人間に語ったというのである。6月10日付のわたしのブログにおいて「キリスト教は神の言葉の宗教である」と書いたのを思い出していただきたい。こうして、キリスト教は徹底して神からの宗教であり、神ご自身のイニシャチブであるということである。いうなれば、諸宗教の一貫した神探究への、神ご自身の応答なのである。従って、ヨハネ・パウロ2世は続いて言われる。「御言葉の受肉こそ、あらゆる宗教が切に求めてやまなかったものの実現にほかなりません」(同上)。

ここに、キリスト教は神からの人間への応答として、すべての人、すべての宗教に述べ伝えられなければならないという、「宣教の使命」を担うものであることが了解される。かつて教皇パウロ6世は言われた。「福音(キリスト教)は、人類の大きな部分を占める人々が信じている非キリスト教の教徒にも向けられています。これらの宗教は、多くの人々の魂の生きた表現であり、教会はそれらを尊敬し高く評価しています。そこには、何千年にもわたって神を捜し求めた人々の声がこだまし、不完全とはいえ、非常な誠実さと心の正しさをもってなされた神への追求があります。…それらは「御言葉の種」をそのうちに蓄え、確実な「福音への準備」となり得るものです」(回勅『福音宣教』53)と述べ、さらに、「非キリスト諸宗教の人々にも、キリストの神秘の宝を知る権利があることを強く主張するのが教会の立場です」(同上)。

最近、キリスト教と諸宗教とを同列に置く宗教多元論を強調する風潮もあるが、上記のように、キリスト教には他の諸宗教にはない特別の本質的特徴があり、その故に、他宗教から判然と区別されるところがある。要するに、真摯に神を求める「人間の出来事」である諸宗教と、愛ゆえに人間を求める「神の出来事」であるキリスト教との違いである。しかし、この相異なる二つ、すなわち人間の神探究と神の自己啓示とは、本性上、一つに結ばれてはじめて完結するはずである。

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