結婚と家庭は神が定めた制度

糸永真一司教のカトリック時評 > カトリック時評 > 結婚と家庭は神が定めた制度

結婚と家庭は神が定めた制度

カテゴリー カトリック時評 公開 [2012/04/01/ 00:00]

第2バチカン公会議(1962-65)は現代世界憲章の第2部で、「若干の緊急課題」として結婚と家庭、文化、経済社会、政治共同体、そして平和の問題を取り上げて論じている。今回は「結婚と家庭」の問題を取り上げる。

「個人の幸福、ならびに一般社会とキリスト教社会の幸福は、婚姻および家庭と呼ばれる共同体の健全な状態に固く結ばれている」(現代世界憲章47)。周知の通り、いつどこにおいても人間は結婚して家庭を作り、子供を生み育立て、人類社会を発展させてきた。個人にとっても社会にとっても、結婚と家庭は人間生活の基盤であると同時に、社会の細胞であり、社会の健康は家庭の健康に掛っていると言わてきた。

現代世界に語りかけた第2バチカン公会議は、人間本性と神の啓示に照らして結婚と家庭の本来の意味と目的をあらためて明らかにした。その全貌をこの小論で語り尽くすことはできないから、教えの基本的なところを、現代世界憲章第2部第1章48から紹介してみよう。

要点は、「結婚と家庭」は人間が作った制度ではなく、創造主なる神が制定した制度であると、次にように述べる。「夫婦によって結ばれる生命と愛の深い共同体は、創造主によって設立され、法則を与えられた」(憲章48)。男女の性別も結婚による生命誕生の神秘も科学のメスが入る以前から存在する自然の摂理であり、従って結婚も家庭も人間の発想でもなければ人間が恣意的に定めた制度でもない「神の摂理」を人類は認めてきたのであるが、近代合理主義の勃興以来、神からの独立を主張する世俗主義と利己的な個人主義に基づいて、結婚と家庭の意味と目的を自分勝手に解釈し実践しようとする傾向が強くなった。性倫理の逸脱や風俗の退廃は昔からあったが、その逸脱や退廃を権利であるかのように主張する時代になったのである。

したがって、結婚と家庭の制度が、その法則とともに、神の制定になるものだという公会議の教えは重要である。この教えは、聖書に記された神の啓示によって裏付けられる。

「神はご自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ』」(創世記1,27-28)。そこで聖書は言う。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(同2,24)。

『カトリック教会のカテキズム』は解説して言う。「神が男と女を造られたのは相互の交わりのため、お互いが相手の『助け手』となるためです。両者は人間として平等であり、男性、女性として補い合うものです。結婚で神は両者を結び合わせ、両者が「一体となって」(創世記2,24)、人間のいのちを伝えることができるようになさいます。『産めよ、増えよ、地に満ちよ…」(同1,28)。子孫に人間のいのちを伝えることにより、男と女は、夫婦として、独自に創造主のわざに協力します』(n.372

要するに、神は人類の幸福と繁栄のために結婚と家庭の制度を定めたのであり、結婚する男女は神の協力者として、その計画に参加するのである。そこで公会議は続ける。「それは(夫婦の共同体は)、結婚の誓約、すなわち撤回できない個人的同意を基礎にする。こうして配偶者が互いに自分を与え、そして受ける人格的行為によって、神の制定による堅固な制度が教会の前にも生まれる。この聖なるきずなは、夫婦と子供と社会の善のために、人間の自分勝手にはならない」(憲章48)。つまり、結婚は一人の男と一人の女が結婚と家庭の意味と目的を完全に知り、お互いの自由意思による決断によって、生涯にわたり、自分を与え合う、第三者を入れない二人きりの「神と人々の前で行う」愛の誓約である。

そのうえで、公会議は結婚の二つの目的を示している。一つは夫婦二人の一致と幸せのためであり、もう一つは夫婦愛の実りである子どもの出産と教育のためである。このような健全な結婚と家庭が守られる限り、個人の幸せはもちろん、社会の健全な発展も約束される。逆に、気まぐれな結婚をする人や結婚の誓約を自分の都合で簡単にほごにする人が増えたら、当人たちやその子どもたちは言うに及ばず、社会全体にもたらす不幸は計り知れないものがあろう。公会議は、健全な結婚と家庭を守るために、本人たちの努力は言うまでもなく、社会も教会も支援を惜しまぬよう勧告している。

今日の世相は、その世俗主義と個人主義のため、幸せな結婚と家庭のためには決して有利な環境ではない。それだけに、公会議の教えは、まじめに結婚して家庭を築こうとする若い男女や懸命に家庭を守ろうと頑張っている多くの夫婦や親たちに、この上ない勇気と希望を約束するものになるのではないか。